発信者の覚悟とこれからの時代

こうして毎日のように、時々サボりながらブログを書く事が、当たり前になっている。
書くことに迷ってまとまらなかったり、寝かせたい事がある時は休むこともある。
有難いことに、毎日多くのアクセスをもらっている。
それはひとつの励みにもなっている。
こうしてブログを書く、一番のメリットは、自分の頭の中を空に出来る事だ。
ゴッチャゴチャの頭の中を書き出して、少しでも整理して、空白を作っておく。
そこが作業スペースになって、また新しい事や、以前の事を振り返る作業ができる。
いかに、頭を空っぽにしておくか。
相反するようで、頭を使って仕事をするには必須の段取り。
考えると、悩むは、似ているようで全然違う。
考えるとは、複雑なものをシンプルにしていく作業。
絡み合った糸の塊から、1本の糸をほどいて抜き出すイメージ。
悩むとは、絡まった糸を抜き出そうとして、もっと絡んでしまった状態。
悩みに深さも答えも無い。
シンプルなものを自分で複雑にしているのは、救いようがない。
先入観や思い込み、考え方の枠を無くして、フラットな状態でモノゴトを観る。
そうしないと、観察が出来ない。
あるがままを観れない。
そのためにも、頭の中は空っぽでいい。
ここで書いている事は、独断と偏見。
始めた当初から、反論される覚悟で書いている。
どれだけでも反論してくれていいし、抗議してくれて構わない。
反論大歓迎で運営してきた。
反論される覚悟と、言い切る覚悟の無い文章を、
読み手が時間と労力をかけて読みたいと思うだろうか。
ブログを始め文章は、常識的に正しい事を書く必要は、全く無い。
文章というものは、世の多様性を、みんなが知るために書くものだ。
正しい事は、沢山ある。
答えは沢山ある。
沢山ある答えを、自分で導き出す事ができるか。
唯一の正解を信じて生きてきた時代は、もうとっくに終わった。
唯一の正解と思っている正解は、正解じゃないとみんなが気が付き始めた。
正解を正解とする考えが、正解じゃなくなってきた。
えらいこっちゃである。
その時々、置かれた状況、タイミングで、最適解を出せるか。
いくつの解決策を見いだせるか。
100点をとるよりも、1点をとる方法を100個考える人間が、
生き残る時代になってきた。
価値観の変化、安定の崩壊、自由な働き方、、、、、
令和は、面白い時代になりそうだ。