「なに」ではなく「なぜ」
今週の土曜日は、しずおか市町対抗駅伝!
そっちの方は特にトラブルもなく、コツコツと準備が進んでいる。
あとは、どれだけ疲労を抜くことが出来るか。
過密日程で疲労漬けになった筋肉が戻るには、時間が必要だ。
今週は、必殺!8時間睡眠でダメ押しの回復を図りたい。
市町対抗駅伝が終われば、翌日には防災訓練がある。
「訓練」と付くモノには、体の奥の方にある何かが反応する。
地域の防災訓練は「例年通り」の繰り返しで行われる事が多い。
慣例化しているものを、とりあえず年中行事としてこなしていく。
洗練された内容であれば、それも良いかもしれないが、
残念ながら僕の自治会は改善の余地が大いにある。
形としてやっとけばオッケー、
報告しなければならないからやってる、
みたいな、形骸化して中身が全く伴わない訓練が、毎年繰り返されている。
何でそれやるか、分かってんの?
という、そもそもを聞くと、いい大人がしどろもどろになる。
やった事にする。
時間の尺を稼ぐ。
格好だけ済ませて、いいにする。
人生の先輩方の多くがこれ。
突っ込むと、あたふたしちゃう。
年下に問答無用で、言う事を聞かせてきた世代は、
発言される事に極めて弱い。
形骸化、慣例化して内容の伴わないものは、どんどん変えればいい。
変えなければならない。
じゃないと、時間も労力も無駄になる。
周りの顔色伺って、同じ事していれば大丈夫。
そんな時代は、とうの昔に終わった。
でも、そんな体質はまだまだ田舎に根付いていて、地方は一段と色濃い。
状況に応じて、自分の頭で考えて、判断する。
それができないと、現代は通用しない時代。
慣例、決まり、形式、
実が伴わないものは、どんどん変える、壊す。
波風起こして空気を吹き込むのも、若い側の人間の仕事である。