病み中連戦と会長解任
木曜、金曜の発熱で、一時は欠場を考えた週末の連戦。
13日(土)は中部選手権5000m、
今日14日(日)は焼津みなとマラソン(ハーフ)。
土曜日は全身の関節痛は軽くなったけれど、
一度風邪に冒された呼吸器はヒリついて、胸は切なかった。
鼻詰まりと痰が絡み、やめようと思った。
レースの9割はスタートラインに着くまでが勝負。
風邪引こうが、食あたりになろうが、練習不足だろうが、そんなのは個人の勝手。
あらゆる言い訳を潰すのが準備。
風邪引いて走れませんて、ダセ―なと思った。
ただの準備不足。
スタートラインにまで着けない奴。
どうせ力出せないなら、欠場の方が賢い選択だ。
出た所で、結果出せないのは分かってる。
でもね、あと1割の実戦が残ってる。
そんな悪あがきをしてでも、納得したい性格なのだ。
少しでも可能性が残ってるなら、俺はその勝負を捨てない。
なーんて、完全に呼吸器やられた状態で出た5000m。
15’55”09
案の定、最初から最後まで体が動かず、
この10年で初めて県選手権出場権を逃した。
出て良かったのは、走った事で鼻詰まりが開通したのと、
痰の親玉みたいな血と混ざった塊が出てスッキリした事だ。
そして、今日のみなとマラソンのハーフ。
昨年の超強風よりは弱い風、雨予報なのに暑い気候。
無理せず、3’25”前後で刻めればいいかなというプラン。
ベストを出した森町の時とは、体調に差があり過ぎる。
出だしから出来る限りイーブンを刻み、
その後ろに数人が常に着いてくる展開。
着いては来るが、前には出て来ない。
苦しそうなのは伝わってくる。
時には集団を引っ張るのもいいもんだ。
中間点を過ぎたあたりで、後ろの集団が動き出す。
ほとんどが大学生ランナー。
抜きつ抜かれつで、前後しながら14kmを通過した辺りで、
フラフラになった日体大の選手や、途中棄権する学生が現れ始める。
暑さといい、時折吹く風といい、厳しいコンディションだから、
勝負に出て潰れるのもわかる。
16kmぐらいからは、自分も危うくなってきた。
体に酸素が回らなくなり、ジリジリとペースダウンしている。
それでも、数十メートルおきに前に居る3人との差を測りながら、
残りの距離で何としてでもひっくり返してやろうと、リズムを立て直す。
どれほど最初からきつかったかは、心拍計のデータから察して欲しい。
ほとんど100%オーバーで、ラストスパートでは116%まで上がっている。
後半かなりフラフラになっていたけど、残り2kmで立て直して、
ラストで逆転してゴール。
タイムは、フルマラソンの中間地点の通過より遅かった。
1時間14分39秒
これでも30歳代の部で6位に入ったらしい。
ゴール後は、風邪が一気にぶり返したような苦しさを感じた。
リンパの腫れと頭痛と胸がヒリヒリする感覚。
2日間通して、自分の弱さと詰めの甘さに向き合う事になった。
(オートラップなので若干の誤差がある)
表彰が終わった後は、家に帰って今度は自治会体育委員会の総会の準備。
そう、僕は体育委員会会長だったのだ。
今日の総会を持って任期を終了し、解任となった。
委員会の役員に恵まれて、円滑に活動ができたことに感謝しかない。
会長を務めたおかげで、みなとマラソンの運営役員、沿道の監察員にも知り合いが増えて、
レース中もゴール後も応援や労いの言葉をもらうことができた。
組長やら、体育委員会会長もこれでお終い。
役から降りれば、使える時間と労力が増える。
先送りにしていた仕事にも手を付けて、4月以降はより一層忙しくしていこう。
リ・ボーンの4月。
頑張ろ。