千里の馬の骨と何処ぞの馬の骨
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「どこの馬の骨かもわからない野郎に、うちの娘を嫁にやれるか!!」
頑固親父が怒鳴る場面も、もう過去の遺産になりつつあるのかもしれない。
冒頭の一節には、ツッコミどころが満載だ。
まず人間同士の話なので、野郎は馬ではない。
しかも、馬どころか骨の話まで飛んでしまっている。
最近では勝手に結婚を決めて、両親には事後報告が来ることもあるらしい。
大事に育てた娘を、わけのわからん奴の所になんか行かせられるか!!
という、子を思う親心が詰まったどこか懐かしいフレーズだ。
「どこぞの馬の骨」という言葉、、、
これは恐らく、中国の故事が由来のように思う。
確か「マズ隗ヨリ始メヨ」という漢文に記述があった気がする。
こういうものはネット検索すれば見つかりそうではあるが、
それをするとつまらないので意地でも検索はしない。
「国を治めるのに優秀な人材を集めたかったら、まず私(隗という人)を大臣として登用しなさい」
「マズ隗ヨリ始メヨ」は冒頭部分がそんな書き出しで始まる。
隗はそこで更に昔のエピソードを持ち出し、そこに死んだ馬の骨の話が登場する。
かつて馬は移動や輸送手段として貴重であったし、権力と富の象徴でもあった。
中国では1日に千里走ることができる馬を「千里馬」と称し、
半ば伝説の馬として誰もが欲しがる馬であったという。
ある皇帝が、どうしても千里の馬を欲しいと思った。
しかしながら、千里馬は伝説の馬である。
そこで皇帝の側近の大臣がこう提案した「皇帝、まず死んだ馬の骨を買いましょう」
欲しいのは千里馬なのに、何で死んだ馬の骨なんか買わなくてはいけないのか!!
と誰もが思いたくなる。
しかしながら、大臣には思惑があった。
民衆に、皇帝が千里馬を求めるあまり、千里馬の骨でも買うらしいぞ!
という噂を流すのだ。
骨になってしまえば、千里馬だろうが農耕用の馬だろうが、もはや見分けはつかない。
千里馬の骨ではないのに「これが千里馬の骨です」という輩がわんさか出たのは、
言うまでも無いことだ。
「どこの馬の骨かもわからない」というフレーズは、この漢文が由来となっている気がする。
治療院業界にも「どこの馬の骨かわからない」奴らが大勢いる。
そいつらは甘い言葉で、キャッチ―な言葉で人を集めて、技術セミナーを開くのだ。
自分の治療院も持っていない、誰に教わったかもわからない、
放浪者のような奴が開くセミナーに、我先にと群がってしまう。
どこの馬の骨かもわからん奴に、
治療院の先生方が、こぞって数十万円もお金を払ってしまうのだ。
原理原則、基礎基本が成っていないと、魔法の杖を探し歩くようになる。
そんな治療家、ダサすぎて挨拶もしたくない。
治療家なら、千里馬か家畜の骨か分かるような眼を持つべきなのだ。
ちなみに「マズ隗ヨリ始メヨ」には続きがあって、
皇帝の問いただしに大して大臣はこう答えたらしい。
「死馬スラ且ツ之ヲ買ウ、況ヤ生ケルモノヲヤ」
(死んだ馬の骨でさえ買ったのだ、ましてや生きている馬を買わないだろうか、いや買うだろう)
そう民衆は考えるだろうと言った。
その後、国中に噂が広がり、程なくして千里馬が皇帝の所に来たらしい。
だからその話になぞらえて、
まず能力の無い私を大臣に登用すれば、私よりも優秀な人材が集まるようになりますよ。
というお話しだった。
高校時代に暗記した内容なので、多少の誤りはあるかもしれない。
故事成語って、奥が深いね。