そこに原動力はあるか?
昨日が祝日だったこともあって、やや曜日感覚が狂っております。
先日の第3日曜日は、Dojo&Roots塾!
ワクワクしながらも、ヒヤヒヤもする、治療家のブラッシュアップの場。
Dojoの最初には、それぞれの整体セラピストが講師を務めて話をする「セラピストの窓ビヨンド」がある。
一般の方の前ではなく、整体師の前で話しをするって、かなり緊張するもの。
3月に自分がやった時も、ガチガチだった。
今回のスピーカーは、三重県津市の整体院「からだ工房MINOAKA」の南先生。
写真は撮り忘れました、ごめんなさい。
僕よりもずっと開業歴も長く、多くの方に支持されている先生。
高い技術はもちろんのこと、明るい笑顔と、包まれるような優しさに、一部ではマザー南とも呼ばれる女性の整体師。
優しさのかたまりと思いきや、ふとした時に伝わる芯の強さが、一段とマザー感を高めているのだと思う。
そんな南先生が、今取り組んでいること、これからのこと、そのバックボーンを深く掘り下げてお話しして下さった。
どんなメッセージが伝わるかは、受け取る側のアンテナ次第であると思う。
僕がビビッときたのは、「原動力」というコトバ。
突き詰めていくと、全ての行動を決定づけている根っこの部分、核となるもの。
全ての事柄において、原動力があるかないかで、天と地の差になる。
原動力の無い方法論は、敗北前の騒音だ。
原動力が無いから続かない、原動力が無いから行動に移らない、もっと言えば原動力が無いとテクニックも行動も機能しない。
考えてみれば、原動力の無い大人ばかりな気がする。
自分がどうしたいのか、どうありたいのか、ここを持っていないと、何も始まらない。
ここが定まっていないことで、右往左往したり、ハウツーテクニックで成功すると勘違いしたり、モノや道具で何か変わると思ってしまう。
原動力がしっかりしていれば、逆算して今必要なことも見えるし、方向性の定まった行動にも結び付く。
必ずしも思い通りの結果が付いて来るとは限らないけれど、目的と手段の一致があるかないかでは、結果は大違いであることは間違いない。
南先生の話から、そんなことを考えながら御前崎から帰ってきた。
そうそう、原動力はドス黒くても、動機不純でも、何でもいい。
よりクリーンな原動力であることは理想ではあるけれど、黒くてもいい。
より強い原動力になるのは、自分以外にベクトルを向けることだけども、、、、
南先生、ありがとうございました!!!
原動力という軸があれば、フラフラしないね。