コラムニスト直伝の文章の技術
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このブログでの発信も、かなり長い期間続いている。
ブログを書くこと、文章を書くことには、ほとんど抵抗が無い。
元々、文章作成能力ゼロだったにも関わらず、
強制的に書かされる「野球ノート」と学生時代の山のようなレポート、
更にここでのブログ発信のおかげで、
僕も人並みに文字を操ることが出来るようになった。
野球ノートを書いていた頃は、よく紙の辞書を引いていた。
漢字が分からないし、言葉の意味がよく分かっていなかった。
事ある毎に辞書を引く毎日で、英語の辞書を合わせて、
電子辞書よりも早く一瞬でページを開く技も身につけた。
学生時代のレポートは、高校生までの作文とは全然違う。
作文から、評論にレベルアップする。
「起承転結」や「守破離」という構成が無ければ、レポートとして成り立たない。
そういった書く技術は、レポートの内容以前の話で、わざわざ授業で習うものではない。
作文レベルから評論レベルに変わった途端、危機感を抱いた僕は、
大学生協の書籍コーナーで、レポートの書き方に関する本を何冊も手に入れた。
これらの本は、読めば読んだだけ身になり、レポートを書くことがグッと楽になった。
本を読んだだけでナンパが成功したり、
モテるようになったり、
幸運が舞い込んできたり、
人生が上手くいくなんてことは、
残念ながらあり得ない。
むしろ、テクニックを求めていると、上手くいかない。
でも、文章の技術に関する本だけは、読めばそれだけで力になる。
即効で変わる。
ブログの発信には、レポートとは違った書く技術が必要になる。
今も年間で数冊は「書くための本」を買っている。
インプットしたことを、アウトプットし易くするためだ。
これからの時代、書く技術はより一層必要になる。
AIがどんなに仕事を代替しても、オリジナルの経験、
自分だけの視点で文章を書く事が、代わられる事は無い。
書いて発信する側と、読む側の隔たりはもっと大きくなって、
読む側の人間の割合は増える。
書く技術は、どんな仕事にも求められる。