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静岡県焼津市(大井川町)藤枝市の整体院、癒しから骨格調整・骨盤矯正まで、身体の仕組みに沿った見立てと施術「からだ工房らくだ」

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人の痛いのは100年我慢できる

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体の本質を研究する整体師、元消防士でランナー スポーツ障害のケア、癒しから調整、矯正まで
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「人の痛いのは100年我慢できる」

誰が言ったか、どんな意味があるかは、受け取り方による。

 

そうかもしれない。

痛がる人にどんなに寄り添っても、所詮は自分以外の体なのだから、

全く同じように痛みを感じる事はできないかもしれない。

同じ症状、同じ状態でも、感じ方はまたそれぞれで異なる。

 

本当の意味では、人の痛みは分からない。

思っている事だって、分かり合えない。

 

だからこそ、痛みがどんなものであるかを、汲む必要がある。

考えや思いを聴かなければならない。

何をすると痛くて、どんな時に痛くて、どのようにして痛くなったのか。

ひとつの体の中で鳴り響くコールサインを、外部で受信する。

 

分かり合えるように、汲み取る努力をする。

 

声になるようでならない、文字になるようでならない、

痛みとしか現れない体の声を、再現性を持つコードだと思って聴く。

 

そんな時に、最も役に立つのは、自分自身が経験した「痛み」だったりする。

腰が痛くなった事の無い人に、腰の痛い人の気持ちは分からない。

肩が痛くなった事の無い人に、肩の痛い人の気持ちは分からない。

足の裏が痛くなった事の無い人に、足の裏が痛い人の気持ちは分からない。

 

同じ経験をしていないと、まるで想像力が働かない。

ドリアンを食べたことが無い人が、ドリアンの味を語ることが出来ないように、

痛い経験をしていないと、切なさが分からない。

 

体に起こっている状況が把握できない、機序がわからない。

 

「人の痛いのは100年我慢できる」という、

一見ふざけた言葉には、だからこその教訓がある。

痛い経験は、大事。

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