第75回富士登山競走 振り返り③

僕が過去、富士登山競走でぶち当たってきた壁は、痙攣だ。
膝から下、時には大腿が痙攣する。
それも、これ以上無い位の強いもので、
膝下に関しては足首も変な方向に曲がってしまい、足を置くのも難しくなる。
岩場が始まってから、痙攣は徐々に顔をのぞかせ始めた。
強くならないように、かわす、かわす。
それでも、ゴジラの背中のような凸凹の岩場で体を支えようとすると、
ふくらはぎからアキレス腱、足指まで強烈な痙攣が発作的に起こる。
標高が上がる程に、発作的ではなく、持続的な痙攣に変わる。
それでも、止まることはできない。
トップは目の前だし、後ろからは江本さんが来ている。
その後ろからも、追い上げてきている選手はいるかもしれない。
動かなくなった脚を、無理矢理動かしながら、
岩場にかじりつき、手も腕も使って登る。
5合目で2分あった差を、
1分まで詰めてきたのに、
体が全く言うことを聞いてくれない。
精神的なものも、まだ使っていない筋力も、
自分の中に残っている、
動力として使える、ありとあらゆるものを探し出す。
体を前へ、上へ、数cmずつでもいいから進めてくれるものを、
今ここに注ぎ込む。
僕が今まで経験した、極限だったのかもしれない。
水を一口飲み込む、たった一瞬だけ呼吸が遮られるだけで、
ブラックアウトが起こりそうになる。
酸素供給と消費がギリギリで釣り合ってる状態。
水を飲み込むことですら、意識が飛びそうになるくらいに苦しい。
トップとの差は、詰まったり、開いたりをくり返しながら、
結局最後まで埋まらなかった。
体が思うように動かなくなってから、
僕を山頂まで連れて行ってくれたのは、
応援してくれる登山者、山小屋のスタッフ、大会の関係者達だ。
本当に追い込まれたとき、もう何も自分の中に残っていない時、
手を叩いて、時に鐘を鳴らして、声をかけて励ましてくれる人達が、
息を吹き返すきっかけをくれる。
申し訳ないのは、その声援に応える余裕が無いこと。
お礼を言っても、ヘロヘロな状態で、
ぞんざいな返事に聞こえてしまうだろうということ。
3000m以降、在日米軍と思われる登山パーティに何度か会った。
その度に、「Watch out!Watch out!」と道を開けるように周りに声をかけて、
僕の脚の太さくらいの腕をもつ屈強な男たちが、手を叩き盛り上げてくれた。
スタートの段階から、フィニッシュまで、
富士吉田市の熱い想い、ホスピタリティに包まれていたレースだった。
全ての段取りが計算されていて、丁寧で、滞りが無い。
日本一の山岳レースというのは、運営のクオリティの高さのことではないか。
もう一度、鍛え直して、また戻って来よう。
5合目まで自力で降りてきて、着替えて、
道の駅まで送ってくれるバスに乗る。
道の駅ではスタートで預けた荷物を受け取り、
各自指定された駐車場まで送ってくれるバスに乗り換える。
今大会は、表彰式も閉会式も無い。
道の駅でも暑かった。
ブースに出ていた太い麺の焼きそば。
大会参加者には、道の駅で使えるクーポン券が500円分配られる。
今まで食べた焼きそばの中で、こんなに美味しい焼きそばは無かった。