第44回富士登山駅伝・振り返り①
普段から真っ黒に日焼けした肌が、真っ赤になるほど焼け直した日から、2日。
日焼けの痛みと、筋肉痛と、岩の突き上げで打撲した足裏の痛みが癒えるまでは、
ゆっくり休もうと思ってキーを叩いている。
最大限の集中力を使った後は、休む期間も作らないと、心のスタミナまでも尽きてしまう。
僕にとって11回目の挑戦の富士登山駅伝は、これまで10年間走ってきた見次クラブから、
メジャーリーガーを揃えた清水ランニングクラブ(以下清水RC)に、エントリーが変わった。
それまでの10回の間に見てきた清水RCのメンバーは、
僕のレベルでは全く歯が立たない、別格の選手が揃っていた。
レベルの差があり過ぎて、いつか追い着きたいとも思えない位の、圧倒的な差。
富士登山駅伝に出る度に、
その選手達との次元の違いを見せつけられ、
全く通用しない自分の走力に打ちひしがれ、
自分の甘さや至らなさを反省して、改善と試行錯誤を重ねること10年。
優勝以外は、負けと同じ。
勝つことが使命の清水RCに、今年は戦力として組み込んでもらった。
1区(6.54km登り243m)
ショウヘイ(山梨学院大卒、2019箱根1区、日本選手権1500m5位)
2区(4.64km登り345m)
ユウト(藤枝明誠、山梨学院大卒、2019箱根10区)
3区(4.54km登り371m)
コウスケ(藤枝明誠、神奈川大卒、2019箱根4区)
4区(2.84km登り664m)
高瀬のアニキ(元滝ケ原自衛隊、昨年区間賞、富山のスピードスター)
5区(4.24km登り1017m)
ムラタ(元野球部のド田舎の整体屋)
6区(4.92km山頂折り返し618m)
細野のアニキ(国体山岳縦走競技、神奈川県代表、ロードもトレイルも走れる経験豊富なスペシャリスト)
7区(3.66km下り1017m)
ムラタ
8区(2.59km下り664m)
高瀬のアニキ
9区(4.44km下り371m)
コウスケ
10区(4.64km下り345m)
ユウト
11区(4.88km下り188m)
ショウヘイ
直前の体調不良でエントリー変更になったけれど、
当初はスカイランニング世界選手権代表の「近藤のアニキ」も6区に入っていた。
これだけの選手を組めるのが、牛之浜総監督の偉大な功績。
全く穴もない、ミスしないで11年間勝ち続けてきたトヨタを倒すには、
11区間でどこにも綻びが無いオーダーで、貯金を作って逃げ切らなければならない。
箱根駅伝を走ったランナーで固めたロード区間(1区~3区)で後続との差を広げ、
トヨタが圧倒的に強い山区間(4区~8区)で貯金を使い果たしても、
復路のロード(9区~11区)で逃げ切りか、逆転するという作戦での区間配置。
山区間の仕事は、トヨタとの差を9区~11区でも逆転可能な範囲に収める事。
その作戦通り、山頂での折り返しから復路は数十秒~数秒の差で大接戦になった。
アンカーまでもつれた勝負は、大砲ショウヘイが逆転、逃げ切りを果たしてくれた。
5合目の選手待機所に、山区間を走った選手達で降りて来た時、
中継点で放送されていた大会の実況ラジオは、ゴール直前の様子を伝えていた。
「競技場にトップで帰って来たのは、、、ゼッケン1番、トヨタスポーツマンクラブです!」
「後続の選手はまだ見えてきません!」
チームのメンバーと、その実況を固唾を飲んで聴き入った。
僕が7区でタスキを受け取った時、前を行くトップのトヨタとは14秒差。
急傾斜に岩が埋め込まれた危険な砂礫地帯を、
ノンブレーキでゴリゴリに攻め、8秒差に縮めて8区に渡した。
8区も8秒差を守り、そのままの差で9区にタスキが渡る。
9区では一転リードを広げられ、38秒差をつけられて10区へ。
10区で再び追い上げ、17秒差でアンカーの11区へ。
「トヨタとは17秒の差がある」
5合目の選手待機所で、チームスタッフから入った情報はそれだけ。
あとは、逆転してくれることを祈るしかない・・・
そこで聴こえてきたのが、トヨタがトップで競技場に帰って来たというラジオだった。
清水RCにとって、優勝以外は負けでしかない。
駄目だったか・・・
「一般の部優勝は、ゼッケン1番のトヨタスポーツマンクラブです!!」
ラジオ中継はそう実況している。
僕も含め、そこに居た選手、監督、スタッフが、万事休すだと下を向いた、その時だった。
「いえ、優勝は、ゼッケン1番ではなく、7番の清水ランニングクラブです!!!」
一瞬、意味が分からなかった。
時間が止まったように思えた。
次の瞬間の、喜びの大爆発と言ったらもう、、、、、
肩を抱き合って喜び合い、涙があふれ出した。
泣きながら、みんなが笑っていた。
周りの他のチームの方々も、一緒に喜んでくれた。
17秒を追っていた展開は、最終的に24秒のリードで幕を閉じた。
「分からないでもないけど、1と7は間違えないでしょ!笑」
一度は思い切り落とされた所から、最高潮までの喜びのドラマは、長らく語り継がれるだろう。
その後に山頂区から帰って来た細野さんと将悟さんも、クシャクシャになって喜び、泣いていた。
富士登山駅伝は、監督、チームスタッフ、選手の総合力が試される。
34年かけて、最高のチームが出来上がった。
34年間に関わった、全てのメンバーのおかげで、頂点に手が届いた。
個人的にMVPだと思っているのが、山頂6区細野さんの活躍。
大会2日前に、補欠から6区への変更でも、本番は職人の如く、タスキをつないでくれた。
細野さんは、4区の高瀬さんの調子が上がって来ない事を考慮して、
出番があっても良いように、補欠登録でも本番走れるように準備していたのだ。
高瀬さんの調子が上がってきたので、4区で走る事はなかったけど、
もしものために準備しておいた事で、急遽6区をやる事になっても、勤め上げてくれた。
結果的に、高瀬さんの調子が上がって来ないという状況すら、優勝するための足掛かりになった。
牛之浜総監督が紡いできたチームの輪が、鮮やかに機能した。
長くなり過ぎたので、今日はここまで。
僕個人の反省まで、たどり着きませんでした。
続きはまた明日。