社会通念上の「正義」

台風の影響で、色んなイベントや大会、企画が中止になっている。
自然相手なら仕方がない。
何かトラブルがあっては、運営側の責任が厳しく問われる。
今はそういう時代。
せっかく時間も労力もかけてきたのに、中止なのは運営側が一番悔しいはずだ。
現代は責任の問われ方が厳しい。
厳しいというよりも、抹殺して抹消するかのごとく、叩き潰す。
社会通念上許されないものは、この世から消される。
この社会通念て何だろうか。
物体としては存在しない。
誰かが説いているわけではない。
実体の無い空気のような存在で、逆らうと圧力をかけてくる。
逆らうと、袋叩きにされる、一大勢力。
合意形成と不文律の、共通認識。
これに従っていれば、とりあえずは安全を確保される。
身分は保たれる。
目に見えない圧力、実体の無い空気で、人々を支配する。
誰も言っていない、書いてもないものに、誰も逆らえない。
この圧力に支配されて、誰もモノを発せなくなった空気感、
異端とみなすものを抹消する叩き方、これが日本の「正義」だ。
恐ろしいことに、この正義は立場が翻った場合、だれも責任を取らない。
皆が傍観者で、他人事で、知らんぷりする。
社会通念上の空気感、圧力の度合いは、年々強くなっている。
僕は戦争を経験していないが、史実から読み解けば、戦争前の空気感と似ている。
「何か」に動かされていく、個々の判断が出来なくなっていく。
正義はいつだって強い。
正義はいつだって振りかざすことができる。
でも、正義はモノゴトの一面だけの視点に過ぎない。
正義は正義の顔して、正義なんかじゃない。
正義がどんどん強くなっていく、正義に逆らえない。
この傾向が増していく事が、危ない社会になっていく気がしてならない。
人々の心が正義で狭くなって、ギスギスするのは切ない。
フラットで偏りのないモノの見方をしようぜ!!!