安定する場所を求めて
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昨日からだろうか。
空気のニオイが、春クサいのだ。
独特の温度帯、湿度、植物の香りが混じる。
肌をかすめる風に対して、それほど体をすくませる事も無くなった。
2月も早い。
あっという間に今月も去っていく。
そろそろ、僕が前の職場を去ってから丸5年になる。
同時に開業も5年目になっていて、10月には6年目に入る。
大学を卒業した2010年頃は、リーマンショックの影響が強く、
どこも就職難だった。
求人倍率も低く、内定が決まらない事もザラだった。
そんな中で、消防1本に絞っていた事で、
静岡市消防局と藤枝市消防本部(現志太消防本部)の合格を得た。
当時は今以上に安定志向が強くて「公務員」というだけで、
安定を勝ち取り、ステータスを得たような事をよく言われた。
親も鼻高々だった事だろう。
(その鼻は数年後にへし折れる事になる)
安定が欲しいと思って、消防士を志したのではない。
たまたま、消防士が公務員だっただけだ。
あまりに「安定」と結び付けられる事が多くて、
今では「安定」とは何なのかを考える課題をもらったような気がしている。
大きな会社だから大丈夫だとか、
一流企業だから大丈夫とか、
公務員なら食いっぱぐれない、
なんて事は、これから先はどんどん覆る。
高齢化と人口減少、経済規模の大幅な縮小は避けられない。
会社の数もどんどん減るし、税収は全然足りなくなる。
と勝手に推測している。
ある本に、こう記されていた。
「安定とは立つ場所ではなく、立ち方である」
これを読んだとき、モヤモヤが晴れた。
僕たちは、どんな場所に立つかを考えて、それを目指すように教えられてきた。
少しでも足を置く場所が広くて、グラグラしなくて、長く立てる場所だ。
そんな場所に、立つどころか胡坐をかいていられる時代も、あるにはあった。
でも、今は時代が違う。
立てる人間は、杭の上だろうが、ロープの上だろうが、
バランスボールの上だろうが、ちゃんと立つのである。
立つ力、バランスを取る力が、揺るがない安定を生む。
安定した場所を延々と追い求めるよりも、
グラつかない場所にじっと立ってるよりも、または座っているよりも、
どんな場所でも立てるように訓練した方が、ずっと面白い。
立てると、今度は歩ける。
歩けると、色んな世界を観に行くことが出来る。
ただし、赤ちゃんがいきなり歩くことができないように、
立つまでも、色んなハードルを越えていかないといけない。
それを苦しむか、楽しむかは、人それぞれ。
どうせなら、楽しめばいいじゃないか。
不安を抱えた人生の後輩達へ、
余計不安になる、春の先輩風を吹かせてみた。