1日という細胞が1年という臓器をつくる
12月は忙しい月。
坊主も駆けることから、師走と呼ぶようになったとか。
今年のことは今年のうちにと考えると、手付かずだったものに取り組むペースが上がる。
前倒しするようになる。
これぞ年末スパート。
だから、12月は忙しくなる。
「だから」ね。
ということは、それまで流していたのか、ということになる。
恐らく根っこではYESだろう。
人間は、今やれることほど、やらない生き物である。
だから、年末のスパートはあっていいと思う。
それから、新年を迎えてからの、刷新した気の持ちようも必要だと思う。
仕切り直しという「きっかけ」によって、人は自分で自分を変えることができる。
問題は、追いつめられてからでないと動かないこと。
刷新したものも、段々と薄れていくこと。
人間とはそういう習性を持った生き物だ。
年末も年始の気の持ちようも、それは1年を単位にした時の話。
もっと細分化してみれば、半年、3カ月、1カ月、1週間、1日まで。
もっともっと細かくなる。
特に、繰り返すこの毎日、1日が、1年という構造体の細胞になっている。
構造体を変える、構造体の機能を変えるには、細胞を変えるしかない。
1日の過ごし方は、年始の様な気持ちで目覚め、年末のような追い込みで締めくくりたい。
そうして、出来ることを、出来る限り1日に詰め込めば、それがひとつの細胞になる。
詰め込んだ細胞と、スッカスカの細胞とでは、365日重なると別物になる。
それが、3年、5年、10年と積み重なれば、どうだろう。
1年がどうなるかは、1日が決めている。
この1日という細胞が、1年という臓器を作っている。
朝、目を開けて自分が生きているならば、それは大チャンスである。
こんなにありがたいことは、ない。
だから、悩んだり、しがみついたり、躊躇したりしている暇は無い。
占いが手を差し伸べてくれることもない。
人は、自分に都合のいいものしか見ない。
この1日は、365個の細胞の1個。
多い?少ない?
かなり少ないだろう。
だって、365個自分に与えられるかなんて、わからない。
1個を大事にできなければ何個あっても同じだ。
20歳から、生きるとはどういうことか、ずっと考えてきた。
この1日を、密度の濃いモノにするには、未来からの引き算が要る。
未来があるから、今がある。
整体というものが、僕にとっても、受ける人にとっても、今と未来を作るものになる。
だから、コツコツと毎日12月も、僕もスパートかけて仕事する。
忙しい、大変な、疲れる時期に、1年の身体のホコリ落としをしたいと思った時に、僕のことを思い出してもらえるように、まだまだ修行。一生修行。
ということで、今日も説法をタレてみました。