師匠運
2月も半分以上終わり、今日は17日。
草薙激走会前に、駐車場に停めた車の中から書いております。
今夜も寒い。
加えて、メニューをやり切れる自信が無い。
言い訳ばかりが正当性という仮面を被って聴こえてくる。
「今日は休もうぜ」
その理由はいくらでも作り出せるのだ。
全部真っ当に思える。
果たして、今日のメニューをやり切れるのだろうか…
前置きが長くなった。
本題に入ろう。
僕は運が良い方だと思っている。
ここまでの人生、運だけで何とかなってきたと言ってもいいくらいだ。
順風満帆に生きてきたかと言うと、そうではない。
圧倒的に不利な状況、窮地に立たされて、突破口も開けなければ、何とかする実力も無い。
そんな事ばかり。
そんな状況を切り抜けるべく、僕に知識と経験を授けてくれたのが師匠である。
師匠は何人も居る。
人生の節目節目で、師匠が現れる。
大概の場合、師匠にはコテンパンにやられ、完膚なきまでに、叩きのめされる。今の僕があるのは、叩いて叩いて、叩かれ尽くされた結果である。
師匠の名誉のために言っておく。
パワハラではない。
僕の出来が悪いからだ。
センス無し、人脈無し、人間力無し。
どうしようもない。
そんなどうしようもない自分を、節目節目で出会ってきた師匠は叩き上げてくれた。
感謝しかないと言いたいところだが、正直なところ、半分は恐ろしくて近づき難い畏怖畏敬の念である。
体の整備屋、整体師のムラタがあるのは、師匠のおかげである。
師匠に学ばなければ、絶対に今の僕は存在しない。
コロナ禍でも全く暇にならず、年々忙しさを増す仕事が出来ているのは、師匠に叩き込まれた教えを素直に日々の施術に落とし込んでいるからだ。
僕は整体師を志した時に、師匠のような治療家になりたいと思った。
2012年の春、師匠のサロンを訪ね、整体スクールに入った。
その秋に、カリキュラムを全て終え、スクール卒業となった。
その次の日、事件が起こる。
師匠が意識不明の重体。
スクールを出たとはいえ、まだまだ素人の自分。自動車学校出て免許取ったくらいで、一人前にならないのと同じ。
これからだという時に、真っ暗になってしまった。
そんなことってある?
何てツイてないのだろう。
でも、僕はやっぱり運が良かった。
師匠は息を吹き返した。
そして、リハビリを重ねながら、弟子に全身全霊をかけて生き様を、在り方を伝えて始めた。
止まっていた僕の整体師としての時計も動き出した。
まるで奇跡のような軌跡。
僕は本気でそう思っている。
そんな師匠が、本を書いた。
有り難い。
こうして形に残すことは、永久である。
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あまり書くとネタバレしてしまうので、この辺で。
セラピストだけでなく、ビジネスの在り方、生き方に通じる。
kindleでサクッと、何度も読み返して欲しい。