バラバラな体に気付く
バラバラな体!?
殺人事件を連想したあなた、
ごめんなさい。
言葉にはそれぞれイメージがある。
バラバラという言葉を聞いて、良いイメージを持つ方は少ないと思う。
現代人の体は、かなりの確率でバラバラになっている。
手と足がバラバラ、腕と胴体がバラバラ、胴体と脚がバラバラ、全部がバラバラ。
動きが全部バラバラ。
で、バラバラって何かというと、本当に連動して動いているかどうか、ということ。
手を動かそう、足を動かそう、胸を張ろう、背中を伸ばそう、みたいな意識付けや感覚を持つと、もうその時点で体はバラバラになる。
どこかしらの、部分的な意識がある時点で、アウト。
見た目は動いてはいるけれど、持っている能力を発揮できないで、無駄な力を使う。
頑張っちゃう。
この頑張った感もまた、バラバラを助長する。
厄介なことに、バラバラな時は、バラバラになっていることに気が付かない。
勤続的な負荷が掛かったり、疲労が溜まったりして、不調も起きやすい。
人によっては、どこか自分の体の動きにもどかしさを感じて、詰まる感じや、何かが違うと表現する場合もある。
悪くないけど、芯を捉えているとは言えないような、仮住まいな感じ。
体のバラバラがカチッと噛み合って、ひとつになると、居住まいのいい感覚がある。
どこの部分も使わずに、力を発揮する。
どこを使っているかが、分からなくなる。
負荷は全身に分散されるので、局所に疲労が溜まらない。
そんな時は、手の感覚も、腕の感覚も、脚やお腹や、背中の感覚も無くなる。
それは言い換えると、全身を同時並列的に感じるということでもある。
毛の一本一本や、指の先まで、全てがまとまるようなイメージ。
全てのパーツが、ひとつの方向性に参加してくれるような。
どこもこぼれていかない感覚。
長くスポーツに打ち込んできて、野球をしている時も、陸上を始めてからも、抜群に調子がいい時は、体がひとつになる感覚があった。
僕が一流の選手になれなかったのは、その状態を維持できないことだった。
なぜ調子が良くて、なぜ悪かったのかを素直に理解できなかったから、再現するのに苦労した。
今でも、そういうことは多々ある。
走る時にも、ベストタイムで走った時や、準ベストの時は、体がひとつになっている。
でも、しょっちゅうバラバラになるから、5000mでも15分中盤で走っていたかと思いきや、16分かかってしまったりする。
ズレている人は、ズレていることに気が付かない。
なぜなら、、、、ズレているから(笑)
これは師匠のよく言う、僕の好きな言葉。
バラバラな体をふと取り戻す時がある。
それは、刃物を使う時。
刃物を体の一部になったようにシンクロさせて、体の動きを刃物に伝える。
魚を捌く、鋸を挽く、斧で薪割りをする、鉈を振って枝を払う。
これをすると、バラバラな体がひとつになる。
どこか一カ所でも運動に参加していないと、それだけで全体が崩れて、上手く刃を引けない。
生活の中に、色んなヒントが隠されている。
最新スポーツ科学?
ファンクショナルトレーニング?
体幹トレーニング?
それらは、一周回って、周回遅れなのかもしれない。
失われた体を取り戻そう。