アソコが折れるとか折れないとか
こんなご時世だからなのか、メンタルマネジメントとか、アンガーマネジメントという、精神面の強化や、心の置き方を題材にした書籍が本屋によく並んでいる。
世の中の旬、最先端はいつも本屋にある。
別に精神的に何も抱えていないので、手にも取らない。
ただ、現代人の心がいつも齷齪していて、人からどう見られるかを価値基準にして、なんだかとても狭い世界観と小さなモノサシで苦しんでいるのは、何となくわかる。
「そうは言ってもねぇ」
その一言が出ないように、全部つまらないものなど捨ててしまえば、どれほど楽になるか、本人たちが一番よくわかっている。
でも、それができずに、現実と本音を噛み殺した狭間で人は悩む。
本音で生きていると、顰蹙を買う生きにくい世の中だ。
そんな現代の闇はさておき、よく「心が折れる」という言葉を聞く。
特に走るのは「もっと精神的に強くならないと」とか、「折れない心を」みたいに言う人が多い。
僕はこれがよくわからない。
折れる折れないとか、気持ちが切れる切れないとか、その概念の意味がわからない。
そんな実体の無いものが、折れるわけないし、切れるわけがない。
ポキっと行くわけがない。
当然のことながら、鍛えようがない。
時々言われるのが、「どうしたら苦しみに耐える精神力を手に入れられるのか?」という質問。
そもそもこれは、苦しみに耐えさえすれば走れるのだという、思い上がり。
走るのは、瞬発力と筋持久力、それを推進力に変える全身コントロールの技術で成り立っている。
その中身を無視して、走るのは苦しさに耐えることと考えるのは、実に浅はかだ。
実際は長距離競技は「いかに苦しまずに最高速度で駆け抜けるか」を競う競技である。
精神面で乗り切れるほど甘くない。
一番楽をした者が勝つ。
これが長距離の特徴。
そうは言っても、苦しくなる時は必ず訪れる。
レース中にそんなことを意識したことはないけれど、多分自分はこんなことしか考えていない。
「現時点で、いち早くゴールにたどり着くには、どうしたらいいか」
これだけ。それ以外、何も考えていない。
目まぐるしく変わる局面で、できることをやり尽していく。
そうすると、途中で折れている暇などない。
折れる余裕すら無いというのが正解かもしれない。
体が動く限りは、できることをやり尽すだけ。
それで出た成果が、事実上の現時点での限界スコアだ。
その方が、自分で勝手に作っている壁を取り払うことができる。
目標や設定は、軽く持っておく。
真の限界点はもっともっと先かもしれないし、思った以上に手前かもしれないからだ。
どちらにしても、置かれた状況でやれることをやり尽くす。
なんとかする。
それでダメなら、しょうがない。
なんとかならんものは、なんともならん。
強い精神なんて、恐ろしいわ。
もっとシンプルに、軽く生きましょ。
Comment
時には笑い又ウーんと思い
肩の力がスート抜ける様な感じがしました
次の機会に教えて下さい
歯を食いしばったり、苦しみに耐えなければいけない時は、自分のコンディションが悪い時です。
気持ちで押し切れることもありますが、それは続きません。
自然体を見つけるのが練習ですね。