行き過ぎやり過ぎ健康学

過ぎたるは猶及ばざるが如しという諺にあるように、踏み込み過ぎてかえってマイナスの結果を生むことは珍しくない。
この情報が氾濫した昨今は、更にそんなスピードが加速しているように感じる。
特に体のことに関しては、状況に応じて臨機応変に取捨選択できる柔軟性こそが、より快適で健康的な生活を送るカギだ。
胡散臭い情報を氾濫させて、本質的なところは煙に巻くのが健康産業。
まともなものは、ほとんど無いと言っていい。
イメージ戦略という魔法を使って、期待させるだけ期待させるのがやり口だ。
体内に入れることで効能や効果があるように謳うものは、完全アウト。
人間の体の問題は、口に入れているもので起こることが多い。
だから、体質改善や体調を整える場合には、乱している原因を振り返ってみて、取り除く他ない。
そう言うと、最近は「〇〇制限」ブームで目に着くものを制限しようとするが、これまた結果と原因を見誤るので、ろくなことが起きない。
本当に大事なのは、生産工程や製造過程であって、人工度が増すほど体にとって毒になる。
ご飯類などの炭水化物、エネルギー源を断って、代わりにプロテインを飲んでいるような人の体がまるで仕上がっていないのは、このためだ。
特徴は、動きが重くキレの無いこと。
不自然なことをするほど、体本来の力は削ぎ落とされてしまう。
よく考えなくても、プロテインという言葉自体もおかしい。
「タンパク質」というのを言い換えるだけで、進化できる食べ物のように洗脳している。
じゃがいもを「ポテト」と言っているのと同じなのに、カタカナにするだけでイメージが変わる所が、日本人の英語力の低さを露呈している。
アミノ酸のサプリメントも、あらゆるスポーツ競技でバンバン売り込まれているけれど、あんな人工的なものを体に入れて、パフォーマンスが上がるわけがない。
体を動かすというのは、体に備わっている機能を総動員する、燃焼作業でもある。
だからこそ、出来る限り自然であるべきなのだ。
コテコテに加工された化学チックな雰囲気が漂うと、日本人は弱い。
そこにすがるアスリートは、本当にアスリートなんだろうか。
全ては、食品会社、製薬会社の戦略だ。
体にとって、自然であること。
不自然なものを、遠ざけること。
当たり前過ぎて、書くのが恥ずかしい。
整体でも、これは変わらない。
今日も本当の事、掘ってみました。