観察力という武器

子どもが草むらで何か捕まえている。
静かになった時は、ろくなことをしていない。
自分もそうよく言われていた。
何か居たか?
と聞くと、カタツムリと答える息子。
カタツムリを捕るにしては、長いこと外に居た。
何匹捕ったのか、どんなのを捕ったのか見てみる。
なんと!!
虫かごの中には、約50匹のカタツムリ。
そんなに居るのかという驚きと、見つける注意力、観察力を褒めたくなった。
野菜の切れ端を虫かごに入れて、
捕ったカタツムリが食べるのを観るのが面白いらしい。
そのカタツムリ、どうやって食べようか?
と聞いたら、流石に「それは無理」と息子が答えた。
この間、肩の高さが違うのが気になるという、中学生が来院した。
右肩が左より低いのが気になるそうだ。
学校で友達に言われて、自分の肩の高さの違いを知ったという事だった。
ポロッと、スゴイ事を言ってくれた。
「自分だけじゃなくて、みんな右の肩が低いんだよ」
えっ!?
偉い!!!!
よく気が付いた。
ちゃんと友達の体を見比べて、その法則を見つけたのだ。
そういう視点で観ないと、体の状態や特徴は見えて来ない。
理由は幾つも挙げられるが、人の体は右の肩の方が低い。
それが正常。
(内臓が逆転している場合は逆になるかな?)
元々、体で左右対称な所は、1つも無い。
右には右、左には左の役割がある。
左右対称が良くて、非対称はダメ。
水平が良くて、左右差があるのはダメ。
本当にそう?
肩の高さや、腸骨稜の高さ、椎骨の配列には、法則性がある。
整体師は、レッテルを貼りたがる。
あそこがダメ、ここがダメ。
価値観にはめ込んで、見立てを立てる。
はめ込まれたら、最後。
受け手としては、気分良くないね。
整体師がうさん臭いのはそこだ。
そういう学校の先生も、大嫌いだった。
何見てんだよ、目ついてんのか?
って言わない腹いせに、3年間授業は100%聞いてなかった。
そこはお互い様なんだけど。
医学書に書いていない、現実を見つける目。
素晴らしいとしか、言いようがない。
客観的事実と法則性って、フラットな目でないと、見えない。
じっと見つめる。
観察する。
子どもと遊ぶことも、整体につながるヒントが沢山ある。