3年という月日
3という数字は、あらゆる事柄に通じる。
考えやすいし、使いやすいし、実際に当てはまることが多い。
序論、本論、結論も3つ。
守破離も3つ。
松竹梅も3つ。
並、上、特上も3つ。
結果を出すにも、3年という月日は区切りをつけやすい。
種を蒔き、伸ばして、収穫を迎える。
3年あれば結果は出せるし、3年やって駄目なら諦めなければ損切りができない。
3年やってみなければわからない話ではない。
大概は、1ヶ月でわかる。
3ヶ月で全てわかる。
また3である。
1年やってみて、駄目なものは、2年やっても3年やっても、やるだけドツボにハマっていく。
合理的に考えて、改める、引き返すという事が出来なければ、時間の無駄だけではなく、その間に生じた膨大な損失が降り掛かることになる。
2020年、2021年と、全く同じ事を2022年もやって、違う結果が期待できるなんて観測は立つはずがない。
結果が出ないどころか、弊害しかもたらさない策を、のうのうとまた1年やるなんて、狂気の沙汰である。
僕は、昨年、一昨年からアップデートされていない対策や、情報に一切の信用、信頼を置かない。
自分の頭で考え、感じ、情報を集め、精査し、判断を下して行動する。
こんな当たり前の話が、日本中で崩壊しているのが露呈したコロナパニック。
整体屋である前に、僕はひとりの人間である。
こんな世の中だからこそ、当たり前のことを当たり前にやれる人間でありたい。
今年は、基礎をもう一度やるつもりで知識や技術の習得に励みたい。