親心まで受け止めて
有難いことに、僕の整体には大人だけではなく、大学生、高校生や中学生も来ることがある。
みんなそれぞれ部活をしていることがほとんどだ。
もう随分前なのに、学生時代は野球をしていた経緯や、その頃の基礎体力を活かして長距離競技をしていることが、整体でも役に立っていることは間違いない。
そして、その頃に経験した数々の怪我と故障があるから、痛みや不調に苦しむ人の目線に立つことができると思っている。
競技者を相手にする場合、僕の整体師としての一番の強みは、アスリート目線に立つことができることだ。
プレーに関して、食い違いの無い想像ができること。
感覚を共有できる事。
言葉にならない体のモヤモヤを、言葉にすること。
患者さんの体を理解しないことには、施術はできない。
そうして、色んな学生の整体をしていると、常に親御さんの子を想う心を感じる。
自分の体よりも、子どものことを気遣う。
安心できる所へ、任せたい。
そんな心も受け止めながら、僕は学生の整体もしている。
振り返ってみると、自分の親も同じことをしてくれた。
TVゲームの類は一切買ってもらえないし、誕生日も祝わないのに、体のケアに関することには手厚くしてくれた。
その手厚さは、僕の中ですごく印象的で、間違いなく自分が整体をしていることとも結びついている。
ただ、そんな手厚さがあっても、実家では通学は這ってでも自分の足で行け、というルールがあって、小学校から高校卒業まで車で送ってもらったことはなかった。
昨日のような、カーブミラーが根こそぎ折れるような台風の日でも、絶対に車へ乗せない。
とんでもない冷徹な頑固親父だと思ったけれど、今思えばそれもまた僕のためでもあったのだろう。
おかげで、弱音と言い訳の出ない体質に変貌した(気がする)。
学生の整体、親心、そして台風。
そんなことを振り返って今日は書いてみました。
それではまた。
おやすみなさい。