藁にもすがれば石にもすがる
今日はスキマ時間に更新でございます。
日本語にある「藁にもすがる」というのはよく言ったもので、
窮地に陥った時に人は、ワラにもしがみついて助かろうとする。
「火事場の馬鹿力」や「窮鼠猫を噛む」という言葉とは追いつめられた状況は似ているが、これらは開き直りの境地で思わぬ力を発揮するというニュアンスが強い。
一方、藁にもしがみついてしまうのは、少しも頼る宛てが無い場合である。
「火事場の馬鹿力」「窮鼠猫を噛む」というのは、自分を頼りに大ピンチを乗り切ろとしている反面、「藁にもすがる」のはもはや自分すら頼りにならない状況だ。
人は万策尽きて困窮した時には、役に立たないものにまで頼りにする。
そうはいっても、現代において万策尽きて本当に困窮することなんてあるだろうか。
万策というのだから、少なくとも1万通りの解決策を試みた末の困窮であるはずだ。
多くの場合は、解決策の模索をしようとしていなかったり、悩んでいることに浸っていることが多いように感じる。
それはそれで、窮地に追いつめられた状況であるとも言えるのかもしれない。
なかなか藁にもすがる状況なんて無いけれど、
現代において人は、自分にすら頼れなくなると、、、石に頼るらしい。
パワーストーンとか、それでできたネックレスとかね。
見た目が綺麗とか、お洒落で身につけるならまだしも、
「どこの馬の骨かわからんような石」に結構なお金を払ってしまうらしい。
こんなことを書いている僕の整体院には、石にもすがるクライアントさんは当然の如く来ない。
でも、石にもすがっちゃうような、自分すら頼りにしていない治療家って結構いる。
そんな治療家を頼りにする人が、いるわけないのに。
僕が唯一石にすがるのは、山を走っていて鉢合わせたイノシシに投石する時だけだ。
石にすがり出したら、もう救いようがない。
みなさんの周りに、石にすがっている人が居たら、そっとしておいてあげてね。
生きるってことは、生涯自分を頼りにして、自分に頼ってもらうこと。
自分のカラダを信頼して、自分のカラダを認めていこう。
整体は、そのためにある。