知りたいのはそこじゃない

静岡マラソンも、予定通り中止。
県知事が「やめろ!」って言って、
静岡市長が逆上して「静岡マラソン開催します!」っていう僕の夢物語は、
泡となって消えた(笑)
「もしも論」はどこまででも話を広げられる。
保険の営業はこれで成り立ってるでしょ?
それに対して、無いとは言い切れない。
もしも論を押し切るには、メリットとデメリットを整理したうえで、
何のためにやるのか、何を優先するのかを明確にしなければならない。
叩く側の声がでっかいこのご時世。
実行委員会の判断は仕方ないね。
大会中止にするってことは、大会に関わる人間の中に、
感染者が居るという前提なわけ。
どこで感染者が出たとか、
何人になりましたとか、
誰が死んだとか、
報道はそんなことしか流さない。
お前ら、それで仕事してると思うなよ。
どっかで仕入れた数字だけ、情報のネットワークで横流しして、
それで仕事になってるのか。
それは仕事ではない。
作業だ。
そんなの、プログラムされたbotでもできる。
知りたいのは、これまで感染した人が、
どうのような症状が出て、
どのような経緯をたどって回復したか。
または亡くなったか。
本当に取材してるのか。
その情報が無いから、危機意識だけが感染していく。
目に見えない何かと、戦わなければならない。
結果「とりあえず」が横並び。
ジャーナリストに、国語力が欠けている。
発信していればいい時代は、とうに終わった。
情報の質、内容が問われている時代なのだ。
そんなことをつぶやいて、今日は寝るとする。