宇宙とゴマ粒

ヒトの体は面白い。
奥が深いどころか、全く底も天井も見えない、宇宙空間。
専門書や学校で教わる筋骨格系、脳神経系、心臓血管系、生理学やら、
なんちゃらってのは、地図帳にしか過ぎない。
地図をよく読んで頭に入れておくことは当然必要ながら、
それだけじゃ体の道案内は出来ない。
行ってみたら、道が塞がれてたり、分かれ道が幾つもあったり、
行き止まりになってるように見えたり、崖のようだったり、
木の根が出っ張ってたり、
岩がゴロゴロしてたり、、、、
地図見ても、行ってみないとそこがどうなってるのか、分からない。
行ってみて、どう進むのかが治療家の力量。
進み方の一番の邪魔は、教科書にはそう書いてあるということ。
地図にはこうなってるから、これが正しいと。
道がおかしいんだと言う。
教科書に書いてある事を、目の前のクライアントに重ねる。
目の前のクライアントを診ずに、教科書を見る。
そうやって、型にはめ込まれて、レッテルを貼られた診断をされて、
金太郎飴かベルトコンベヤーに乗せられたような処置、リハビリが待っている。
恐ろしいのは、セラピスト達が、そのナビゲーションに疑問を抱いていない所だ。
体の動き、働きは、緻密で繊細で、それでいてキャパがものすごく大きい。
それを、どれだけ感じ取れるか。
おかしな点に気が付けるか、デザインに反している動きを拾えるか。
見えるところもあれば、拾えない事も沢山ある。
拾えないものは、拾えていない事にすら気が付かない。
それまでの理解が覆ったり、謎が解けたり、
わからないメカニズムが、どんどんわからなくなったりもする。
教科書に書いてある事は、体という宇宙空間で言えば、ゴマ粒くらいのもの。
宇宙の中のゴマ粒。
たった1つのゴマで、一体何ができようか。
せめて、すりゴマにして和え物にしたり、おはぎにしたり、
担々麺のスープに仕立てたいものだ。
宇宙空間の中の担々麺のスープもまた小さいなと、
発見と謎が尽きないヒトの体を見て、
自分の見えてる世界の小ささを感じるのである。