宇宙とゴマ粒
![](https://i0.wp.com/lakuda.net/wp-content/uploads/2019/08/GOPR1084_1566690581940_high-1.jpg?fit=4000%2C3000&ssl=1)
ヒトの体は面白い。
奥が深いどころか、全く底も天井も見えない、宇宙空間。
専門書や学校で教わる筋骨格系、脳神経系、心臓血管系、生理学やら、
なんちゃらってのは、地図帳にしか過ぎない。
地図をよく読んで頭に入れておくことは当然必要ながら、
それだけじゃ体の道案内は出来ない。
行ってみたら、道が塞がれてたり、分かれ道が幾つもあったり、
行き止まりになってるように見えたり、崖のようだったり、
木の根が出っ張ってたり、
岩がゴロゴロしてたり、、、、
地図見ても、行ってみないとそこがどうなってるのか、分からない。
行ってみて、どう進むのかが治療家の力量。
進み方の一番の邪魔は、教科書にはそう書いてあるということ。
地図にはこうなってるから、これが正しいと。
道がおかしいんだと言う。
教科書に書いてある事を、目の前のクライアントに重ねる。
目の前のクライアントを診ずに、教科書を見る。
そうやって、型にはめ込まれて、レッテルを貼られた診断をされて、
金太郎飴かベルトコンベヤーに乗せられたような処置、リハビリが待っている。
恐ろしいのは、セラピスト達が、そのナビゲーションに疑問を抱いていない所だ。
体の動き、働きは、緻密で繊細で、それでいてキャパがものすごく大きい。
それを、どれだけ感じ取れるか。
おかしな点に気が付けるか、デザインに反している動きを拾えるか。
見えるところもあれば、拾えない事も沢山ある。
拾えないものは、拾えていない事にすら気が付かない。
それまでの理解が覆ったり、謎が解けたり、
わからないメカニズムが、どんどんわからなくなったりもする。
教科書に書いてある事は、体という宇宙空間で言えば、ゴマ粒くらいのもの。
宇宙の中のゴマ粒。
たった1つのゴマで、一体何ができようか。
せめて、すりゴマにして和え物にしたり、おはぎにしたり、
担々麺のスープに仕立てたいものだ。
宇宙空間の中の担々麺のスープもまた小さいなと、
発見と謎が尽きないヒトの体を見て、
自分の見えてる世界の小ささを感じるのである。