同じものが違って見える

全国各地でロードレースが抹殺された中でも、
しぶとい決意で開催されたレースがある。
ベストが出ました、目標達成出来ましたという声を聞くと、嬉しくなる。
すていほーむなんて、アホくさいキャンペーンにめげず、
暑い日も寒い日も、
トレーニングを欠かさず続けてきたランナーには、勲章が残る。
おうち時間?
何言ってんだ。
GO OUTだよ!
建前ではマスクして、真面目に感染対策してるフリして、
外に出たら自由の身!
ランナーで良かった。
色んな大会が無い分、みっちりトレーニングに時間を掛けられる。
その中で、治せなかった故障を何とかしたいという相談も多い。
レースにエントリーするというひとつの課題は、原動力になる。
しかし、その圧力は時として走ることに自分を縛り付ける。
レースがあるから走らなきゃ。
レースがあるからやめられない。
誰からも強制されず、
自分の意思で走っているはずなのに。
ペナルティも無ければ、
賞金もないはずなのに。
走れないことは、自分が自分でなくなるのではないか、
という恐怖なのだ。
ありとあらゆる情報を集めて、出来る限りのことをする。
ランナーはみんなそうする。
皮肉なことに、次第に出口が見えなくなる。
沼にハマる。
僕の分析やアドバイスは、
それまでの努力とは、正反対のことを言うかもしれない。
情報の海から探してきた、
どこかの誰かが言うこととは、全く違うかもしれない。
「専門家」がいかにデタラメか、
今回のコロナ騒動でよくわかったと思う。
一般常識も、
通説も、
昔からのしきたりも、
良かれと思ってしてきたことが、
覆されるかもしれない。
サイエンスに根差すとは、疑うことだ。
疑って疑って、疑い続けることだ。
疑うことをやめたら、そこで進歩は止まる。
何を信じたらいいかわからない。
なんてこともよく聞く。
「信じる」とか「信じない」なんていうのは、もはや宗教だ。
サイエンスとは全く違う世界の話だ。
科学的であること。
整体ではこれが非常に重要。
ただし、まだまだ未科学的なことの方が多い。
わからないことも、説明が付かないことも沢山ある。
同じものを見ても、異常だと言う人もいれば、
問題ではないと言う人もいる。
僕は出来る限りニュートラルに体を診たい。
ここが悪いという、レッテルを貼りたくない。
そんな思いで整体してます。
明日はシューズレビュー書こうか?
時間あるかな?
興味ある?