やらなかった自分と比較する
毎年のごとく、仕事しながら合間にやるトレーニングは、登りを速く走るために特化した内容に切り替わっている。
時期的には遅いのかもしれない。
年明けからのロード、駅伝が落ち着き、トラックを2本走る。
そこから山に本格的に切り替える。
体は同時に多くの刺激を受け入れることは出来ない。
刺激に対する反応を意図的に利用するのがトレーニングだ。
反応は複数起こすことは出来ない。
だから期分けということをしなければならない。
ここ数年、痛い程に感じてきたのは、速く登るためには、そもそもが速く走れないといけないということ。
根本的な出力を上げなければ、登れない。
長く走ることでスタミナを養い、速く走る訓練を積み重ねてスピードを磨く。
タイムトライアルやレペティションで2つをドッキングさせる。
こうして裾野を広げて、基礎体力を上げた先に登りのトレーニングがある。
登りには、筋力が要る。
心肺機能はエンジンにあたる。
軽さも必須だ。
それから、どんなに苦しくても折れない精神力。
これらがレース中に揃っているのは当たり前。
試合当日までに、揃えておく過程が全て。
当たり前なのだが、忘れがちだ。
レースでチャレンジするのではなく、スタートラインに着いた時には既に決まっているのだ。
登りのためにやれることは地味だ。
急傾斜地を求めて、繰り返し登ること。
長く走る力を落とさないこと。
スピードは磨けるだけ磨くこと。
呼吸筋を含めた全身の筋力を上げること。
コツコツとやるしかない。
サボろうと思えば、簡単にサボれる。
しかし、その1回をやった自分とやらなかった自分を比べたら、そこには埋まらない差が確実に出る。
時間は限られている。
その間に、やれることを出来るだけ繰り返す。
比較するのは、やった自分とやらなかった自分だ。
スタートラインについた時、やれる事をやり尽くしていたら、最高のスペックの自分がそこに立っていることになる。
やれば変わる。
やらなければ今のままだ。
夏はもう目の前だ。