記録魔になれ
FacebookやGoogleフォトでは、過去の投稿や思い出をお知らせしてくれる。
1年前の今日、3年前の今日等、、、
そんなことあったなー!
と思えたり、恥ずかしい思いをしたり、
時間の流れを感じたりする。
記録することの意味は、変化を視覚化することにある。
変わっているのか、いないのか。
記録しておいたからわかるということは、
記録しておかないと、わからなかったということだ。
小泉構文みたいだ(笑)
それくらい、人の記憶と感覚というのは、あてにならない。
時間の流れと共に変わってしまう。
最新のものが、3年もすると陳腐になってしまうように、
飽きたり古びたと感じるスピードはとてつもなく速い。
今ひとつ調子が上がらず、色々と噛み合わないなと思うと、
1年前のトレーニング日誌には、同じ週に同じことを書いてある。
色々と探って良くなってきたなと思うと、また同じようなことが書いてある。
なんだこれ!!
とビックリする。
上手くいかない、思ったように走れないとへこみ、
良いタイムで走れると嬉しい。
そんな一喜一憂の波の中で1年を乗り越えていく。
記録している時には、それがどんな意味を持つのか全くわからない。
芸能人のスキャンダルなら、LINEのやりとりが致命的な証拠にもなったりするが、
このブログの読者にはそんな橋を渡っている人は多分いない(笑)
記録することは、ある時に過去と今の違いを教えてくれることであり、
大概の場合、自分にエネルギーを与えてくれる。
僕はノートにトレーニングを記録してあるけれど、SNSも立派な記録。
そのスタイルもまた時代だね。