言い訳のタネを刈る
どんな事象や結果にも、原因や理由というものが必ず存在します。
肩が上がらなくなったのは、なぜなのか。
頭痛がするのは、なぜなのか。
結果に対しての分析、対策を立てることは、その後をより良くするために欠かせません。
ただし、原因を明らかにすることとは、似て非なるものがあります。
そう、言い訳です。
言い訳は、一見するともっともらしいことを議論しているように錯覚します。
特に大の大人が数人寄り添って、言い訳トークを繰り広げていると、
自分たちはもっともらしいことを議論しているように、勘違いしてくるようなのです。
それが、3年、5年、10年と積み重なってくると、
言い訳の思考回路が出来上がってきます。
○○だから、できない。
○○のせいで、やれない。
傍から聞いていると、宿題をしてこなかった中学生の会話のようです。
年齢を重ねてくると、ここに悪知恵が加わって、責任転嫁と罪の擦り付けが始まります。
あれ?
豊洲の…
オリンピックの…
原発が…
いやいや、エリート集団であり組織の偉い方々がまさか、そんな…ねぇ…
いやいや、そのまさかです。
言い訳に言い訳の連鎖をしていった結果が、このところの日本だと思うのです。
「問題は複雑で…」
「慎重に検討を…」
はい。全部言い訳の釈明ですね。
話の規模が大きくなったので、的を絞ります。
言い訳なんて、探せば無限に見つかるのです。
「○○だから、できない」のではなく、
「だから、どうする?」と考えなくては状況は変わりません。
もっと簡単に言えば、
言い訳というできない理由をそれだけ明確に持っているのであれば、
その逆をやれば解決策はいくらでも見つかるはずなのです。
言い訳モードに入って、それで自分を納得させるクセが付くと、
自分を騙し続けることになる。
やがて、ウソと虚勢まみれになっていく。
僕は24歳の時、そんな諸先輩方を見習って「脱公務員」を決意したのでした。
言い訳をひとつ見つけたら、逆をやってみよう。
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