決めるのはいつも自分
走ることは、自分のライフワークのひとつに組み込んでいる。
走らない人には全くわからないし理解もされないが、
走ることには色んな意味がある。
そのことについては追々書いていく。
仕事をしながら走るのは、スケジュール管理との闘いである。
スケジュールの影響の無い早起き生活には、まだシフトしきれていない。
そのため、隙間の時間を見つけて「ガツンと走ってスパッと終わる」ようにしている。
今日は昼前に、約1時間だけ使える時間を捻出した。
1時間の中で何をするか。
1km4分で行けば15kmの練習になる。
ただし、1km4分のペースでは大して練習にはならない。
しかしながら、速くないペースとはいえ、日曜日のフルマラソンの伴走でのダメージも残っている。
では、どんなトレーニングをするか。
インターバルトレーニングは、疲労もあってペースが中途半端になりそうで×
疲労を抜くためのロング走をする程、ダメージは無い。
どうするか。
思い浮かんだのは16km(河川敷を8km昇って折り返してくる)を、
1時間以内で終わらせる練習だった。
1km4分のペースでは64分かかるのでアウト。
16kmの間にペースアップして60分で終わるようにすればいい。
長距離の練習では、8kmとか16kmという数字の距離をよく使う。
12kmというのもある。
ウォーミングアップなんて悠長なことをしている時間は、無駄である。
小雨の降りしきる中、ストップウォッチを押して走り出した。
走り出した時は小雨だったのに、走るにつれてどんどん本降りになってきた。
こんな時に、手袋を忘れた。
カッパも着ていないし、半ズボンにロングTシャツという出で立ちである。
ノーアップで走っているので、非常に寒い。
こんな時には、色んなことが頭をよぎる。
「やっぱり今日は15kmにしようか」
「やっぱり6kmで折り返して往復12kmでもいいんじゃないか?」
「10kmでも悪くないよね」
「脚も結構筋肉痛あるし、寒いでしょ?」
別に体調が悪いわけではない。
単に雨が降って寒い「だけ」である。
人間は、常に言い訳を探して生きている生きものなのだということを、痛感する。
さらに前半の8kmは向かい風で、自分の中の「言い訳星人」が顔を出しかけていた。
とりあえず、5kmを通過する。
これで折り返しで10kmということは無くなった。
更に6kmも通過。
これで12kmの練習になるということも無くなった。
河川敷の上流に向かう程に強くなる風に逆らいながら、ついに8kmの折り返しまで来た。
ここまで来ると、気持ちが楽になる。
後半はややペースアップしながら、負担が少なくスピードの出るフォームを考えながら、
何とか16kmを走り切った。
タイムは59分29秒。
GPSでは16.13kmとなっており、平均ペースは1km3分42秒だった。
マラソンコースのキロ表示と多少誤差が出るのは仕方ない。
何とか1時間以内に練習を終えることができた。
心拍数も一番上がった所では97%まで上がっていた。
走ることは、いくらでも言い訳ができるものである。
逃げようと思えば、できない理由とやらない理由は無限に見つけることができる。
それを繰り返すと、やがて思考回路にクセが付き、体質に変わっていく。
今日も、紙一重だった。
できるのに、できないと決めているのは自分だし、
やれるのに、やっていないのも自分なのだ。
「やれんのに、手抜くなよ」
そんな言葉を自分にかけた昼の1時間だった。