情報の量と鮮度
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1年が早い。
この言葉を聞かない時期があるだろうか。
ついこの間、年が明けたと思ったら、もう年賀状の注文である。
お中元とお歳暮が、玉突き事故を起こしそうなぐらい早い。
今年ももう、1カ月半しかない。
月日が過ぎるのが、年々早くなるのは、年のせいとよく言う。
同じ事の繰り返しになると、脳は活動を抑えてオフモードになる。
同じ過ごし方からは刺激を受け無くなる。
オーバーに言うと、眠っている状態に近い。
目をつぶったらもう、朝だった、みたいな現象が、
1年が早いというメカニズムである。
ただし、それは昭和から平成の中盤ぐらいまでの話。
今の時代の1年が早いは、昔と仕組みが違う。
昔なら、何年もかけて浴びる情報の量を、数カ月、半年、1年で浴びてしまう。
出てくる情報の量、触れる情報の量、変化のスピードが速い。
興味関心は、次から次へと移り変わる。
流行り廃りもあっという間だ。
ん?
1年間で3年か5年ぐらい年くってる?
得をしているのか、損しているのか?
浦島太郎なのか?
問題は、触れる情報は膨大なのに、
その情報の質が、まともではないことも多い点だ。
裏が取れてない、
根拠が無い、
トンデモ、
俗説、
噂話、
鮮度の落ちた情報の海。
僕らは、その海の中を漂流している。
飲み込まれるのか、
舵取りをして航海ができるのか、
自在に泳ぐのか。
良いものがあっという間に広がる反面、
デタラメも跋扈する現代。
情報を浴び過ぎて、流されるぐらいなら、
どうせ画面見るなら、発信してやろう!!
情報の海に、そうやって水をまた、流し込むのだ。
あっという間に過ぎる1年よりも、
あれもやった、これもやったという、
盛り沢山の、駆け抜ける様な1年にしようじゃないか。
良い1日を積み重ねて、人生をより良くする。
そのために、生の情報を選ぼう。
スマホに使われるな、使ってやれ。
時にはデジタルデトックスも必要。
ではまた!