怪我はしても故障はしない「静岡マラソン2017」
昨日の静岡マラソン2017(42.195km)は、
2時間36分20秒(スタートラインを越えてからは2時間36分07秒)でゴールした。
これまでフルマラソンの大会は練習の一環で出ていたので、フル用の練習はしてこなかった。
今回は、フルマラソン用のトレーニングを積んで挑んだ。
なぜフル用の練習をしたか。
それは、ひとつの人体実験をしたかったからだ。
走るということは、
それ自体が楽しみであったり、
記録の向上を目指したり、
自己表現だったり、
交流を楽しむものであったりする。
色々な形がある。
より自由になる手段が、走るという行為なのだ。
にもかかわらず、走る程に故障をするランナーは多い。
距離を伸ばす程に、
走り込めば走り込むほどに、
ハードワークを積むほどに多くのランナーが故障をしていく。
そのせいで「強度の高いトレーニングは、危険」という認識が広まっている。
これを広めているのは、世の治療家達だ。
カラダの持っているチカラや可能性がかなり伸びしろがあるのに、
あたかも「ハードに使うから悪くなる」ように洗脳をかける。
それは治療家が逃げるための言い訳だ。
治療家がしなければならないのは、
故障の治療ではなく、手技や教育で故障をしないカラダにしていくことだ。
これをしていないから、走り込むとどこかが痛むカラダになっていく。
間違えてはいけないのは、「怪我」と「故障」は根本的に違うことだ。
怪我はいわゆるアクシデント、事故であって、
外側からの物理的な力によってカラダが壊れることを指す。
血が出るものもあれば、出ないものもある。
キャベツの千切りで指を切ったのは「怪我」
デッドボールで骨折したのは「怪我」
タンスの角に足の小指をぶつけて腫れるのは「怪我」
ドアに指を挟むのは「怪我」
「故障」が「怪我」と違うのは、物理的な外力による損傷を伴わない点だ。
何年も腰が痛いのは、怪我ではない。
デスクワークで首が痛いのは、怪我ではない。
走り込みでいくら腰が痛くても、それは怪我ではない。
走って膝が痛いのも、踵が痛くても、足首が痛くても、怪我ではない。
これらは、ほとんどが故障だ。
ちなみに丁度1年前、僕が膝を手術したのは山での事故が原因で「怪我」にあたる。
怪我は防げないものではないが、不可抗力が働くこともあって、避けにくい。
だが、故障は違う。
故障を起こす原因は、カラダの歪みと使い方である。
故障は、防ぐことができる。
カラダの歪みに気が付かないから、故障を繰り返すのだ。
僕がやった人体実験は、歪みを正せば故障しないことを証明する実験だ。
方法は簡単だ。
毎日休むことなく、ハイペースで長距離を踏み続ける。
休養日は、ほぼ無し。
12月は556km、
1月は658km、
2月は625km、
ハイペースで走れば、短い時間で練習が終わる。
1時間あれば、16kmは少なくとも走れる。
朝の目覚めの30分ジョグと合わせて、最低でも毎日20km以上になる。
3カ月の間で、故障は一切無かった。
故障する気配すら無かった。
総仕上げで走ったマラソンも、問題なく走った。
これで分かったことは、「故障は歪みと使い方が原因だ」ということだ。
走り込みはカラダを傷めるものではなくて、強固にするもの。
唯一残念だったのは、
2時間30分切りを狙った攻めが、
25km付近からの向かい風で跳ね返されたことだ。
補給食の黒砂糖は甘すぎて途中で飽きて食べるのを辞めた。
そこからの17kmは、泣きそうな位の(実際に泣いた)地獄だった。
給水所にあるあんパンとか、きな粉たっぷりの安倍川餅とか、モツカレーとか、
その時の僕には殺人的な補給食で手が出なかった(笑)
歪んだ足で走ったら、故障するよ。
ランナー達よ、気をつけて。