初詣で願いが叶う方法
初詣に行った方もいれば、これからの方もいるだろう。
もう行っていて、まだ行くという方もいるかもしれない。
神社仏閣にお参りに行くと、お願いをしたり、感謝したり、色んな参拝の形がある。
作法もあったりして、ややこしい気もする。
日本は八百万の神の国だから、あちらこちらに神様がいる。
僕はあまりそうした作法には詳しくない。
古事記や日本書紀についても詳しくない。
パワースポットとか、スピリチュアルなヒーリング系は、ご勘弁を願いたい性格だ。
でも、神社にはほぼ毎日行く。
あまりに近所にあるので、前を通ったら手を合わせて挨拶していく。
ついでに神社の周りのお堀にいる、ザリガニの生息状況を確認したりもする。
手を合わせた時には、お願いはしない。
神様の前で「あること」をするだけだ。
多くの人は、何らかの運やご加護があるように、お参りに行くと思う。
せいぜい、多くても年に数回だろう。
年に数回だとすると、神様からしたら「たまに来る人」ではないだろうか。
人によっては1回切りで「一見さん」かもしれない。
神様はきっと「たまに来る人」にはたまにしかサービスしてくれない。
一見さんには、サービスも無いかもしれない。
だって、沢山の人がやたらお願いに来るのだから、いちいちかまっていられるはずがない。
僕がもし地の神だったら、たまに来て図々しい事を言ったり、
一見のクセに高望みをする輩の言うことは後回しにするだろう。
普段全然お参りに来ないくせに、都合のいい時にだけ助けて下さいとか、
お願いしますとか言われたら誰もがイラッとするはずだ。
でも、常日頃から顔を見せている、自分のことを忘れていない参拝者だったらどうだろう。
地の神様だって「お前の言わんとしていることは、よく聞いているぞ」と思ってくれるはずだ。
だから、僕はほぼ毎日神社の前を通りかかったら手を合わせていく。
というのは半分冗談。
実は人の思いや思考が右往左往しないで、方向性が定まっているかどうかの確認作業がお参りではないかと考えている。
考え続けていること、願い続けていることは、すぐに口に出すことができる。
ところが、考えや方向性があやふやな人は、
初詣で前の年にお願いしたことなんて覚えていないはずだ。
それくらいの願いは「本当はそう思っていない」のである。
大事なのは、何回繰り返しお参りしても、同じことを願える思いである。
「いつも自分はこう思っています」という確認作業がお参りだ。
特別な事情を除いて、多くの方はせっかく初詣に行くのだから、
今後は何回も足を運んでみるといい。
自分と向き合うためのいいタイミングになる。
だから、神社にあるご神体は鏡なのかな?
これは僕の勝手な想像。
興味のある方は調べてみて下さい。
「からだ工房らくだ」