インプット不足病
ここ1か月ほど、ブログで書くことがまとまらず、時々書くのを辞めることがある。
ネタは数あれど「こんなこと書くことじゃないな」と思う気持ちが強く出るのだ。
却下、却下の繰り返しで、書くことがどんどん縮小していく。
そんな時は、自分の頭も回っていないのでモヤモヤする。
まとまらないのは、考えすぎだというのがひとつある。
こんなことしました、
こんなとこ行きました、
こういうことがありました、
そんなブログは小学生の絵日記と同じである。
小学生の絵日記レベルの発信も、意味が無くはない。
だが絵日記レベルでは、FBやインスタでかまってちゃんを主張する投稿と変わらないのだ。
残念なことに、世のほとんどの発信やブログはこの手のものが99%である。
曲がりなりにも、規模は吹いて飛ぶほど小さくても、自分は事業者である。
発信するためにも時間を割いている。
1日の中でも貴重な時間を割いているわけだ。
その発信が、絵日記レベルなんていうのはあってはならない。
また、読んでもらう方だって貴重な時間を割いて読んでもらっているわけで、
読んでもらうからには何かを持って帰ってもらわなければ、
僕が読み手の時間泥棒をしていることになる。
持って帰ってもらう何かは、何でもいい。
記事を通して、真剣に考えてもらったり、反論してもらったり、共感してもらったり、
またちょっと笑ってもらったり、何でもいい。
記事を通して、読み手に「伝わる」ことがあればいいのだ。
何かを食べたにしても、その味を自分なりの言葉で表現したり、
背景やストーリーがあって初めて伝わることがある。
記事になる事柄だって、毎日そこらじゅうに転がっている。
要は拾う気持ちがあるか無いかだ。
ここ最近書くことがまとまらなくなった理由のもうひとつが、インプット不足病である。
インプットの量が以前に比べて圧倒的に減った。
インプットしたものが、枯渇してきて脳が回すものが無くなったような感覚がある。
そのせいで、記事にできる日常の事柄も拾えなくなった。
思えば、ここしばらく腰を据えて本を読むことをしなくなっていた。
インプットが無くなって頭がガス欠していたのかもしれない。
出し続けるには、インプットし続けないと。
アップデートされないものの劣化は、あっという間だ。
そんなこんなで、今日は施術が終わってから本屋に行ってきた。
2017年は、何冊熟読できるか数えてみたいと思う。
インプット不足病には要注意。
「からだ工房らくだ」