知ってる・やってる・分かってる
アウトプットしなければ、何の意味も無い。
そこが生命線であって、成長の鍵であって、学んだことの意味になる。
常々、そう思い、ブログでも度々書いてきた。
「知っている」の状態では、何の意味も無い。
それは脳内の世界であって、何も生み出さない。
本を読んでも、セミナー行っても、知ったことには何の価値もない。
それは、本を読んで脚が速くならないように、
本を読んで料理が上手にならないように、
本を読んで整体が上達しないように、
知ったことを実際にやってみないと、何も身にならないのと同じこと。
聞いたことを実行する、試してみる、チャレンジする。
そこで何かしらの成果があって、初めて何かが変わるのだ。
やらんことには、何も成果が出ない。
アウトプットとは、つまりは「運動」である。
「行動」と表すと「何をすればいいのか」みたいな方法論へ行き着く。
方法論では時間と労力を無駄にして本質へたどり着けない。
今後は「行動」は「運動」に置き換えた方がいい。
運動しない、運動したくないけれど、自分を変えたいというのは、成り立たない。
運動して、出来なくて、試行錯誤してみて、ようやく出来て、
そこで初めて「わかってる」という状態になる。
ここのステージは、「知ってる」というのとは別次元。
「わかってる」からしたら「知ってる」は「知ってもいない」のかもしれない。
でもね、どこまで行っても分かったつもりになっていたものが、
「うわー!!俺全然わかってなかったわ!!」という事は尽きなくて、
その度にちょっとへこみ、でもまたやる事が見えて、パワーが湧いてきて、
悔しさや、喜びも噛み締めて、いつも前向きに頭を回す。
時間の経過と共に、見えている事、考えている事、分かっている事は、変わっていく。
そんな実践的で、具体的で、オリジナルな成果こそ、
この世の中では求められていて、価値のあるものなんだと思う。
蒸し暑い日だった秋の夜長に、今日はこんなところで。