教える側に立つ
「教える側に立つ」
最も勉強になるのは、その時だと、昔から言われている。
人に何かを教える時は、それまで以上に理解が深まる。
教える側が、教わるのだと。
かれこれ10年前の話、教育学部の4年生だった。
リーマンショック後で、就職氷河期。
そんな中でも、同級生たちは世の不景気なんてものともせず、
銀行、信用金庫、市役所、県庁、教員の内定、合格を軽々勝ち取っていった。
アクティブに働きたかった自分は、消防士の採用試験を受けて、
静岡市と藤枝市の両方で合格をもらった。
丁度その頃「モンスターペアレント」という言葉が出来た。
社会問題化すらしつつあった。
無駄な業務で疲弊する先生も多くなってきていて、教育現場に暗雲が立ち込めている感じがあった。
それでもなお、教員は人気の職種で、採用試験は今とは違い、常に高倍率だった。
最初は教員になるつもりで教育学部に入ったけれど、社会情勢からして方向転換し、
卒業後は消防士になった。
結局、大学で取った中学、高校の保健体育の教員免許でメシを食う事にはならなかった。
教員免許そのものでメシを食う事にはならなかったが、
取得するまでの勉強が無かったら、全くもって今の仕事はできていない。
その過程全てが役に立っている。
これまで何人もの先生、指導者に会ってきた。
人生変えてもらった事もあれば、反面教師という残念なケースも多い。
人に教える側に立つ場合、聞いている側の人の、頭の中を考える。
厳密に言えば、100%想像することはできない。
だからこそ、聞いている側の頭の中を、手に取るように感じるようにする。
課題やテーマに向かう時は、どうやったらそれができるか、一緒に考える。
正解を叩き込むのではなく、案内するガイドに徹する。
一方的だったり、結果の出ない指導、暴走している指導は、
相手の頭の中を想像する力が足りない。
相手を自分色に染めようと、やり込めてやろうと必死か、
言葉足らずで伝わっていない事を感じ取れていない。
できないのは、結果が出ないのは、
教える側の人間の問題という事が、まるでわかっていない。
これは、学校の先生やコーチや、主に教える側の人だけに限った話ではない。
人と人とのやりとりで足りないのが、感じる力と想像力。
全ての仕事、全ての伝える場面で、必要不可欠なセンサーだ。
上手くいってないことすら感じられていないというのは、手の施しようもないが…
不器用で、頭の回転が遅く、センスの欠片も無い、何してもできの悪い自分には、
聞き手の頭の中を想像して話している人と、そうでない人の違いが分かる。
それが、教える側の理解度の、裏返しになっている。
10年かけて、いろんな場面で人間観察をした結果を書いてみた。