体重を操れ!
この間、灯油のポリタンクを同時に3つ動かすのが、生きていくことだ、と書いた。
多少の個人差はあれど、自分の体重というのは、かなり重い。
立ち上がる、段差を降りる、歩く、走る、動きながら曲がる、等々、様々な動作は何気なく行っていながら、かなりの高等テクニックだ。
生まれてから、段々と自分の身体の操り方を覚える。
成長期は、まさにその時期。
どんな場面であれ、人は自分自身の身体をいかに操ることができるか、という課題に立ち向かっている。
これは、何歳になっても終わりが無い。
重力に負けないで、自分の身体をコントロールすることこそ、生きることの全て。
重力に負けた時が、自由そのものの終焉。
生きている限り、歯磨きに終わりが無いように、身体のコントロールにも終わりは無い。
近頃は、フィットネスが一層人気。
体幹トレーニングも、ある種それがステータスのようだ。
それらも、自分の身体を思い通りに動かすことに、どれだけ寄与しているかは、かなり怪しい。
自由度の高い身体を創ることこそ、フィットネスの真髄だ。
マシントレーニングや、ウエイトトレーニングでは、見掛け倒しの身体しか作れない。
〇ーブスや、多くの通所リハビリが、形骸化した儀式のようで、全く結果が出ないの心苦しい所がある。
整体で、動いていない関節、筋肉を再稼働させることと、身体を思い通りに操ることは、切っても切り離せない。
だからいずれは、健康維持に留まらず、アスリートの能力開発といったものにも有効なトレーニングコースも作っていこうと考えている。
トレーニングというイメージからは抜け出したいので、名前も考えたい。
内容としては、訓練に近い。
整体とフィットネスというものを融合させる動きは、業界にはあるけれど、僕はもっと本質的な所を見ていきたい。
身体の眠っている所を、目覚めさせるような、そんな取り組みを。
日本中に整体師は掃いて捨てる程いる。
フィットネストレーナーのような整体屋も増えてきた。
そんな中で、保健体育の専門教育を受けている整体師は、どれだけいるだろうか。
職業としての体育教員の道は選ばなかったけれど、僕の出発点は遥か前から体育である。
今は実家の本棚に挟まって埋もれている中高保健体育教諭の免状も、色んな回り道をして活かす場面が出てくる。
人生無駄なものは、ひとつもない。
使うかどうかわからないものは、大掃除でさっさと捨てるとして、経験は一生役に立つ。
重力なんかに負けないで、自分の身体を自由に動かす訓練を。
未来のビジョンとして、そんなことを形にしていく。
夢は見るもの?叶えるもの?
夢は通過点でしかない。
今夜はこの辺で。おやすみなさい。