遺伝子レベルで緑に触れる
この時代、科学的なデータ、根拠や理論は何より後ろ盾になる。
プレゼンの後ろ盾、決断の理由、信頼、自信、、、、、
とはいえ、科学は万能ではない。
科学が分析できるのは、この宇宙の中のほんの米粒みたいな領域だけ。
科学ではわからない、説明できないものの方が、ずっとずっと多いのだ。
なぜ?
どうして?
この質問を繰り返していくと、大概のものは直ぐに答えの壁に当たる。
それ以上
答えられないものにぶつかる。
どういう機序をたどって現在の状態になったのか、わからないことが多い。
台風が去って、スッキリとした落ち着いた空気が、なぜ気持ち良いのか。
雲ひとつ無い空は、見ているだけでなぜ胸の中まで洗われるようなのか。
天気の良い日に干した布団は、なぜお日様の匂いがすると思うのか。
太陽に匂いなんてあるはずないのに(笑)
同じように、室内に何かしらの植物があると、なぜ落ち着くのか。
小さな観葉植物でさえも、なぜ人はそれを愛おしく思うのか。
そして、仮に部屋を植物で埋め尽くしたとしら、それはそれで嫌だと誰もが容易に想像できるのは、なぜなのか。
上記に挙げたのは、進化の過程で組み込まれた自然の中での記憶を、私たちが受け継いでいるものの例だ。
人は、「地・水・火・風・空」からは離れることができない。
離れれば離れる程にストレスになる、
触れるだけで落ち着き、回復力が戻り、平静を取り戻す。
緑に囲まれ過ぎて薄暗くなれば、それを怖いと思う。
理屈云々ではなく、そうした性質と習性を持って人間は生きてきた。
どんなに文明が発展しても、情報化が進んでも、人は自然から離れることはできない。
それはゲノム分析でも解析できない、数値化もできない、組み込まれた生存本能だ。
「便利、清潔、快適」という素晴らしいワードも、実はとっても危ういかもしれない。
体にとって、本当に気持ちのいいものを違和感なく選ぶこと。
緑があるって、安心できる。