考えたって出るわけないので「お題」をもらう

開業当初は殺風景だった施術室も、必要なものやちょっとした遊び心のある小物が揃い、今ではそれなりにまとまりのある部屋になった(と思っている)。
でも、まだまだ納得はいかず、使い勝手が良くなるように少しずつ工夫したり、どうしたら良くなるか考えを巡らせている。
借家なので勝手な改造はご法度なのだけれど、田んぼの中でも来て下さる方のためにやれることは、沢山ある。
うちは田んぼの中の民家を借りてやっているので、オシャレな空間でも何でもない。
非日常的でエレガントな空間、特別な感じは出せない。
正直に言えば、人の家。
僕からしても「誰かの家」なのである。
そうであっても、快適に施術を受けることができる空間は作れる。
どうしたらもっと良くなるか、
どうしたらもっと面白くなるか、
どうしたらもっと楽しくなるか、
そんなことをいつも頭の片隅に置いておき、センサーを点けておく。
センサーがバンバン反応するのは、ホームセンターだ。
DIYコーナーで材木や金属の部品、塗料や壁材などを目にすると、途端に頭の中の色んなパズルが動き出す。
材料を目にすることで、使い方や活かし方が次々ひらめく。
それは、ホームセンターに足を運んでみないと、ひらめくことはできない。
後から思えば平凡なアイデアも、外からの刺激が無いと、思いつくことすらできないなんてことは、よくある。
ホームセンターで材料や道具を見てるいるだけ。
でもその時間は、色んなアイデアを作るには必要な時間。
貯めたアイデアが無ければ、実際に何かを作ることもできない。
その感覚は、冷蔵庫に「あるもの」で食事を作ることに似ている。
今「あるもの」があるからメニューが決まる。
ブログを書くのも、似たようなところがある。
ブログを書けるか書けないかは、インプットしている情報量に比例する。
それまでに読んだ本の量や、その時々に触れた情報によって、綴る文章が決まってくる。
振り返ってみると、ホームセンターも冷蔵庫の食材も、触れる本も、全ては「切り口」をもらっているのではないだろうか。
言い換えてみると「お題」をもらうようなものだ。
「お題」があることで、僕はこの身に「切れ目」を入れることが出来て、中にあるものを出すことが出来る。
世の中には「お題」無しにアイデアがポンポン出てくる天才も居るようだけれど、そんな天才であっても陰では「インプット」と「切り口」を徹底的に考えているはずだ。
「お題」があると考えがまとまる。
「お題」があると着地点が決まる。
変わり続けるためには、外側からの刺激をもらって、内側からアウトプットをし続けること。
台風の風をBGMに、そんなことを考えてみた。