痛いって素晴らしい
朝練習の途中で小学生の通学の列に会わなくなり、夏休みが始まったことを知った。
「夏休み」この言葉だけで、なんだかお腹の奥底がかゆくなる。
日差しに汗かいてひたすら遊びながら、水筒の冷たい麦茶をがぶ飲みして、終わらない山積みの宿題から目をそらす。
僕のDNAには、そんな記憶が刻まれているらしい。
確か小学校4年生の夏休みの事。
当時は魚釣りだけでなく、毎日のように川に入って魚を獲っていた。
毎日泥だらけである。
長男と次男坊の泥遊びなんて比じゃないくらいに、汚れて遊んでいた。
汗臭いのではなく、ドブ臭さを放っていた気がする。
ある時、川底に沈んでいた錆びた缶で右足の親指に傷を作った。
気にならない位の些細な傷だった。
傷のことは放っておいて、毎日川に入っていて1週間くらい過ぎた頃、傷のできた親指が腫れて痛くなってきた。
殺菌能力最強説を誇るオキシドールの原液をかけても、一向に腫れは良くならない。
それどころか、指が紫色になってきていた。
事態を重く見た父親に、近くの病院に連れていかれ、その場で麻酔を打たれ、あっという間に親指の肉から爪からほとんどを切除されてしまった。
地獄だったのは、麻酔が切れてから。
巻いてある包帯から滴るくらいに出血し、激痛に泣きじゃくった。
川遊びはおろか、歩くことさえままならず、夏休みの半分を棒に振った。
消毒をきちんとして、傷があったら汚い水の中に入ることを避ておけば良かったのは言うまでもなく…それはそれで痛い思いをして結構勉強になった。
もしあの時、もう少し処置が遅れていたら、僕の右足の親指は無くなっていたと思う。
カラダの異常事態を知らせる痛みがあったからこそ、助かったのだ。
痛いと感じることが正常であって、痛くないというのは命に関わる危険がある。
それから、強い痛みを感じるようになってからでは遅いということも学んだ。
そんなの当たり前だろ!!!
というかもしれないけれど、当時の僕には魚を獲る方が足の傷より大事に思えたのだ。
よくよく見れば、大人だって似たようなことをしているではないか。
動けなくなってから、さあ困った。
痛くなってから、さあ困った。
それでは遅いのだ。
痛い思い、辛い思いは、したほうが勉強になる。
小学生達よ、大怪我しない程度に、命に関わらない程度に、転べ!
痛いって大事を思い返した1日でした。