僕らの居場所
自分の家は好きですか?
僕は、どちらでもない。
ゆったり落ち着いた時間は取れない。
こうしてブログを書く時か、食事ぐらいでしか、まず座る事が無い。
本は朝晩で寝床で読む。
TVも観ない。
ソファは邪魔なので、実家にあげた。
家でのんびり。
っていう選択肢は、無い。
台風で外出できなかった時も、
手を付けていなかった仕事をやる時間に充てた。
可能な限り家から出るなと言われたら、
進んでいない仕事ははかどるけれど、
インスピレーションが湧かなくて、
行き詰まり、ストレスになるだろうな。
僕はド田舎に住んでいる。
人口は都会と比にならないぐらい少ない。
パンツ1枚で出歩いても、なんなら真っ裸でその辺を歩いても、
誰にも会わず、通報すらしてもらえない可能性もある。
人口密度が薄すぎて、感染爆発が起きない。
家に居なくても、どこでも一人になれるのだ。
家に居るのが飽きたら、誰にも会わずに遊べる場所は沢山ある。
でもね、ひとりじゃつまらないって、段々思うようになるんだよね。
人の「居場所」ってさ、部屋だとか空間という概念とは別に、
安心できる場所、心を許せる場所、
元気になれる場所、別人格になれる場所、という意味もある。
必ずしも、それは自分の部屋じゃなくて、
人とのつながりや、お店であったり、空気感だったりする。
そんな自分たちの、当たり前にある居場所が、
どんどん遠くなっていく。
家は必ずしも、ずっと居られる場所じゃない。
スポーツだって、ベンチで待ってるよりも、
フィールドに出た方が断然居心地が良いのだ。
今はガマンの時です。
そうだね。
弱者の命を守る時。
でもね、沢山の人がもう、ずっとずっとガマンをしてきている。
ガマンをしてきた人たちに、ガマンしましょう、ガマンしましょうって。
それで頑張れたら、マラソンは苦労しないよ。
ガマンにガマンを重ねた結果、
立ったまま朽ちていくような、
そんな会社、事業者が次から次へと出てくるだろう。
この事態が終わってみたら、何が残るんだろうか。
確かなのは、得る物よりも、失うものの方が、圧倒的に多いという事。
世の中が落ち着きを取り戻すまで、みんな、頑張ろう。