ブログの息を吹き返す
ここしばらく、ブログの更新をおろそかにしていました。
ネタはあれど、考えて温めておいたり、
そうしているうちに、やっぱり書く程でもないかと考えたり。
一番書く頻度が落ちたのは、InstagramやX(旧Twitter)の影響です。
短くていい、コメントでいい、早いし手軽。
僕自身もそうだし、世界中がその流れに乗っている。
だから、ブログなんて誰も読まないんですよ。
読むのなんてかったるいし、書くにも時間が掛かる。
それなら、短いものをバンバン投稿すればいい。
それに、Googleの検索アルゴリズムも、
ブログを上位に持ってこないように変わってしまいました。
SNSのハッシュタグや、投稿の中にあるワードで、
検索にひっかかるものを上位に持ってくるようになった。
ますますブログなんてな時代なんです。
そんな時になぜまたブログかと。
時代の潮目が変わったからです。
これからを生き抜くために、また文章と向き合わなければなりません。
今や情報が溢れ返っている時代です。
いつでもどこでも、素早く大量の情報が手に入ります。
昭和や平成までは、情報を持っているということがアドバンテージでした。
新聞を読んでいる、TVを観て知っている、聴いている。
知っているが強者、知らないが弱者でした。
情報が限られた時代では、そこに希少価値がありました。
希少なものに対して、取捨選択の余地はありません。
情報の正確性や精度、視点や切り口に対して、
ツッコミや疑うという発想がありません。
「疑うことは科学」
「信じることが宗教」
という言葉をどこかで目にしました。
その言葉に照らしてみれば、疑いの余地なく情報を受け入れるというのは、
洗脳教育と言ってもいい。
いや洗脳そのものです。
「TV、新聞、ラジオ、メディアが流すものは正しいものである」
その前提に、何十年も立ってきたのが昭和と平成の時代でした。
ここまで書くと勘の良い人は気が付くし、
理解の出来る人は、
メディアがいかにデタラメを流布し、
権力や利権に都合の良い洗脳を行ってきたか、分かると思います。
コロナ茶番劇なんてその最たるものでしたよね。
僕は最初から終始一貫して空騒ぎ、バカ騒ぎと言っていますが、
行き過ぎた洗脳と利権をむさぼりたい業者は、
いまだに「また流行ってきた」と言うそうです。
コロナがヤバいんじゃなくて、ヤバいヤツをコロナが暴いてくれた。
そう思ってパラレルワールドに行ってしまった人とは、縁を切るしかありません。
情報を疑わない前提で生きてきたのに、
真偽不明の情報が大量に溢れる時代になってしまいました。
乗りこなせない大波にもまれて、
息も出来ずにズタボロになってしまった人が沢山います。
何が正しくて、何が間違いなのか、
何がフェイクで何がリアルかがわからない。
(義務教育受けてれば容易にわかるはずなのに…)
それに乗じた情報テロこそ、この5年のコロナパニックでした。
義務教育の敗北です。
学校出たら勉強しない大人の敗北です。
高校までの勉強ですら暗記であって、
社会に出てから勉強が始まるんです。
手軽に薄っぺらい投稿がバンバンできて、
情報を横に流して、
知った気になる、わかった気になる。
それは僕の生き方としては、ダサくて認められないんです。
現場からリアルをスピーディーに伝える、
手段としてのSNSは好きなんですけどね。
これからまた、ブログの更新頻度が上がりますよというお知らせでした。