ネガティブを否定しない

一昨日、もう真っ暗な中、JOGしに出掛けた。
真っ暗なのに、暑い。
暑いならまだいい。
夏だもの。
体が重い。
そういう周期に入っているのだろう。
体が動かない。
スローなのに、何だか息苦しい。
一昨日も、その前も、JOGの途中で調子に乗って、
500mをキロ3分ペースでを挟んだりしたせいで、
一気に疲労が表に出てきた。
やめたい。
止まりたい。
歩こうかな。
そう思い始めた。
時々あるんだ。
自己嫌悪に陥るぐらい、体が重いこと。
どこも痛くない。
走れる。
でも、超スローになってきた。
やめようぜ。
歩こうぜ。
夜なのに暑過ぎるだろ。
何度も思うけど、止まらない。
止まる自分が許せないのだ。
そんな時、ある選手のツイートを思い出した。
「走るの嫌いだけど、仕事だから走ってます」
「あそこまで走ったらやめよう。延々とそう思いながら、24km」
世界で戦うランナーでも、そういうことってあるんだなと、新鮮に感じた。
それを思い浮かべたら、
「やめたい気持ちを否定する」から、
余計苦しくなっていることに気が付いた。
正確には、やめるための真っ当な理由を探して、
自分を丸め込もうとすることに必死だったのかもしれない。
「やるのか?どうするのか?」
そう揺れている時点で、何だかこじらせているように思えた。
ダサいな。
言い訳星人だな。
そこで、「やめたい」という気持ちを、
自分の素直な気持ちとして受け入れてみることにした。
すると、スイッチが切り替わったように、視界が開けた。
相変わらず体は重いけど、やるしかない(自力で帰る)、仕方ない。
肩の荷が降りたように、一気に気持ちが楽になった。
理由なんて無くていいのだ。
やめたい。
そう感じる自分を否定しない。
結局、たった10km程のJOGは、最後まで歩かなかった。
その時の、やめたい、嫌だ、しんどいっていう感覚は、
15年前に初めてインターバルトレーニングに参加した時を思い出させた。
あの頃は、超憂鬱だった。
嫌だった。
やりたくなかった。
でもやらなきゃいけなかったし、
それが無かったら、今の自分は無い。
1本を乗り越える。
1本をやり切る。
そこに集中する。
やりたいことだけやっていてもダメ。
憂鬱なぐらい、やりたくないことが、必要な時もある。
それが嫌な程、ダルイほど、めんどくさい程、逃げたくなる程、
自分の殻を打ち破ることができる(かもしれない)。
少なくとも、トレーニングに関しては。
しんどさを、思い切り味わう。
かじるのではなく、噛み締めた時、
逃げない覚悟を決めた自分に出会える。
相変わらず、重い体でやった昨日のインターバルは、
やっぱりしんどかった。
でも、そのしんどさも全部含めた体との対話の感覚は、
走り始めた時の逃げない感覚と同じだった。
やりたくないけど、しゃーない。
やるか。
ポジティブ、前向き、ハッピーライフよりも、
それぐらいが、丁度いいのかもしれない。