カネの使い方の決め方
今週末は、静岡県知事選挙がある。
誰に票を入れろと言う話ではない。
僕は少なからず、世の中に対して不満を持って生きている。
それはまた、自分の中のエネルギーになっていることは間違いない。
自分ではどうにもならないものは割り切って、諦める。
納得いかない事に関しては、屈さない。
あっさりしている一方で、まぁまぁメンドクサイ性質だと思っている。
日本の選挙の投票率は低い。
地方選挙では投票率が50%を割ることは珍しくない。
選挙に行っても世の中良くならない。
入れたいと思う候補者(政党)がいない。
ごもっともだ。
その通りである。
政治家にロクなやつなんかいない。
選挙に立候補するのは、目立ちたがり屋か金儲けしたいやつだ。
志や哲学を持って人の役に立とうとする人間は、
既に自分の生業を通して世の中から求められる仕事をしている。
優秀な人間に選挙なんかに出ている暇は無い。
だからこそだ。
だからこそ、ろくでもない信用のおけない人間の中から、
相対的にマシな人間を選ばなければならない。
その忍耐が選挙なのである。
民主政治は最低の政治形態だ。
しかし、これまでの王政や貴族政治といった過去に比べれば、
最低ながらもマシなのだ。
僕ら庶民がしなければならないのは、
満足はいかないが、他の候補者に比べれば多少はマシ。
という候補者に票を入れることだ。
ベストを選ぶのではない。
ベターしか選ぶことはできない。
政治家を選ぶことは、払った税金の使い道を決めることだ。
自分が稼いだカネは、使い道だって自分で決めたいだろう。
それが選挙だ。
投票に行かない、政治に興味が無いというのは、
レストランに行って、
何が出てきても文句を言わない人と同じ。
食事をするとき「デミグラスソースのトロトロオムライスをお願いします」とか
「げんこつハンバーグをオニオンソースで」とか、
「半チャンラーメンチャーハン大盛りでとか」、
食べたいものを注文してその代金を支払う。
「何でもいいので持って来てください」とは言わない。
そういったお任せコースも場合によってはあるが、
それは完全なる信任のうえで成り立つ選択だ。
選挙は「何をいくらで買うか」という、消費行動と同じ。
税金はこういう使い方をして欲しい。
こういう使い方はして欲しくない。
という注文をつけることが、選挙に行くこと。
まさにビジネスそのもの。
整体屋は職人でもありながら、経営者でもある。
自分が何が欲しいか、欲しくないかは、
世の中が何を求めているか、何を求めていないかと同じ。
選挙に行かない、または白票を入れるというのは、
「現在の政治を支持します」
という意思表示に他ならない。
いや、そんなこと思っちゃいないよ!
という堂々巡りが繰り返されそうなので、釘を刺しておこう。
ここまで読んだこと、もう一回よく読め!!!
選挙に行っても、世の中が変わる気がしないとか、
ろくな候補者がいないのならば、
今の政治が良くないと思っているのだろう。
良くないのならば、自らの手で変えてやればいい。
更に、ここで大事なことを書いておきたい。
どんな社会でも、行政府からお金をもらっている既得権益者(補助金や公共事業)は、
全体の20%はいる。
そういった人たちは、後援会を作って政権与党に必ず1票を入れる。
それが、もらえるお金を守ることにつながるからだ。
この国のように、投票率が50%くらいだと、
圧倒的に政権与党が有利になる。
100票のうち、20票は既に押さえているので、あと5票で過半数に達する。
無所属の新人は、25票取らないと勝てない。
その差は5倍。
そこに挑む新人の参入意欲すら湧かない圧倒的な壁が存在する。
明らかにデタラメな政策を連発する、
グズグズの政治家と行政府でも、選挙で勝てるのはこのためだ。
不正選挙をしているのではない。
既得権益者にお金を落とし、
その見返りに票をもらうという関係が成り立っている。
仮に、投票率が80%に上がったとしよう。
政権与党の候補者は、過半数(40票)を得るために、
もう20票上乗せしなければならない。
(既得権益者の票で20票入る)
新人も40票取る必要があるが、その差は2倍。
2倍なら、勝ち目はあるかもしれない。
投票率が上がれば、政治に新たな風が吹く可能性が高くなる。
長くなったので、ここで改めてまとめておきたい。
選挙とは、買い物である。
以上!