こちらがあなたのお家のようです
聴き慣れた音楽を聴くと、過去の印象的な記憶が蘇ってくるように、香りにもそうした作用があるように感じる。
一瞬鼻で吸い込んだだけでも、あるワンカットが脳裏に浮かぶことは、誰しもあるはずだ。
うちの奥さんは、製紙工場のパルプの香りがすると、高校の授業風景を思い出すと言う。
(これで出身校もわかるかもしれない)
僕は東名高速道路の下をランニングで通ると、じいちゃんの家の納屋の香りを感じる。
なぜコンクリートで固められた数十メートルのトンネルが、木造の納屋の香りに似ているかはわからない。
田沼街道の所も、港湾道路の所も、東名高速道路下は納屋の香りがするのである。
何はともあれ、カラダはそんなあらゆる場面を記憶している。
日常生活では、引き出せないだけであって、
「あぁ、これこれ」という記憶、感覚は必ず刻まれている。
道に迷って、どこへ行きつけばいいか、分からなくなってしまった。
どうにか戻りたいけれど、家を忘れた。
自分の家だと思っているけれど、実はそう思い込んでいるだけだった。
みたいなことが、カラダにはある。
整体でカラダがあるべき場所に戻ると、「そうそう!ここに戻りたかったの!」
という終着感と共に、思い出すスッキリ感もあるようだ。
整体でカラダが変わるのは、それは元々あるべき居場所に帰るということ。
筋肉や関節も家に帰りたがっているし、脳もそれを望んでいる。
いつも同じ方角に間違えていることや、家が竹藪や草むらの奥に隠れていたりもする。
厄介なのは、地図もない、ナビもない、Googleマップも役に立たないということ。
そもそも、迷っていることにも気が付かない。
自分の居場所がどこかすら、わからないのが人間のカラダなのだ。
だから、整体屋はカラダを元の場所へ帰す道案内をする。
「今までここに居ましたけど、お家はこちらですね」
というナビをするのが僕の役目。
ここが自分の家!と思っていても、それは銭湯の仮眠スペースかカプセルホテルの安住度であって、もっと行き着きたい場所がカラダにはある。
道に迷いながらも、「ここだね!」というのは、カラダがちゃんと知っている。
そんなことを考えながら、お盆も整体しておりました。
明日もいい1日にしましょ!
藤枝、焼津市の整体「からだ工房らくだ」